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祭りはバカバカしいほどいい、と昨日のブログに書いて、はるか遠い記憶の扉

が、突然、開いた。

子供の頃、会うたびに、その人は、裸だった。

北海道の網走で、夏冬に限らず1年中、裸で生活していたのではあるまいか。

全裸ではない。

膝より少し上の半ズボンをはいていた。

時には「ニコニコ裸運動」と書かれたのぼりを手にして、どこからとなく現れ、

どこかへ消えていくように走り去った。

佐渡は「裸の大将」といわれた山下清の実母の生誕の地だが、網走の「裸の大

将」は、強烈なイメージをわたしに残してくれた。



眼前のオホーツク海に流氷が押し寄せ、一面が雪原になる2月のことだったと

思う。

吐く息がそのまま凍りつくのではないか、と思うほどの寒さの中、「裸の大将」

を先頭に大勢の老若男女が流氷を切って作られた海のプールに飛び込んだシー

ンがいつまでも忘れられない。

流氷の中の寒中水泳である。

それを現場で見ていたわたしは、子供心に、なんでそんなことをやるの? バ

カじゃないの? と思っていた。



そして、数年後のある寒い日、銭湯に行くと「裸の大将」がいた。

「ワッハッハッハ、ワッハッハッハ」と笑いながら、ここでも頭から水を浴び

ていた。

頭はツルツルに剃り上げられていて子供心に近寄りがたい怖そうなイメージが

あったが、目が合うと、

「ワッハッハッハ、笑う門には 福来る」と、大きな笑いとともに、銭湯内に

響きわたる大声で言うのだった。

そしてまたある年の大晦日、小高い丘の上に建つ網走神社に初詣に出かけると、

やはり、「裸の大将」が上半身裸のままのぼりを右手に持って神社境内に走り

こんできた。

「ワッハッハッハ、新年明けましておめでとうございます。ワッハッハッハ」



「気」で生きている人の「気のエネルギー」をいただいたのだろうか…、

いま、こうした光景を思い出して、とても幸福な気持ちに包まれてくる。

この「裸の大将」は、「おいかわらかんさん」とみんなに尊敬を込めて呼ばれ

ていた。

後で知ったが、「裸の大将」は、及川裸観という名前だったようである。

裸のまま全国行脚をしていたそうだから、誰かしら及川裸観さんの姿を見た方

もおられるだろうと思う。

このような「狂気」に近い行動をする人物を、とても懐かしく思うのは、なぜ

なのだろう。

本当に懐かしい。

「ワッハッハッハ、笑う門には 福来る」

その声がいまも耳に響いてくるようだ。
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2005.10.22 / Top↑
祭りは、バカバカしいほどいい。

なんのために、そんなことをやるのか?

そんな疑問符がたくさんつくほどいい祭りである。

と、勝手に思っている。

バカバカしいなどと表現すると誤解を招く恐れがあるけれども、あえて書くな

らば、佐渡はバカバカしい祭りの宝庫である。

羽茂の「つぶろさし」を初めて見た時は、本当に驚いた。

この時代に、こんなことを大真面目にやっているのか、と天と地がひっくり返

るほどの驚きを感じたのである。

ここではあえて「つぶろさし」の説明はしないけれども、このバカバカしさは、

一級品である。

佐渡島内でかなりの集落で行われている鬼太鼓にしろ、集落内の各家を朝から

夜中に至るまで門付けして回るなんてことが毎年行われているのである。

畑野の小倉では、よく死人が出ないものだな、と思われるほど過酷な祭りが毎

年展開されているのは、よく知られている。

いったい、なんのために、こんなバカバカしいことをやるの?

いくつもの理由はあげられるし、実際にいくつもの解説を耳にしたり読んだり

もした。

「神事」ということも知っている。

しかし、それでもあえて言うなら、そのような理屈などいらないのが、祭りで

ある。

頭で考えたりしてはいけない。

バカバカしいことを真剣にやるのである。

真剣にやるから、芸や技が磨かれ、熱狂し、感動する。

それが、祭りの本質のような気がする。



10月16日、真野新町の祭りにお呼ばれした。

本来、この祭りでは「大獅子」が町中に繰り出して邪を払ってくれるらしいけ

れど、それは残念ながら見逃してしまった。

この「大獅子」も熱狂の域に達したら、たいへんなことになるらしい。

若い女はそばによるな、といわれているのだが、女と見るや、大獅子はすかさず

取り囲んでの邪気を払う行為なのかどうか、かなりの粘着的な接触を行う。

今風にいえばセクハラ三昧であるらしい。

それも祭りの熱狂、酔狂の類であり、ことさらに非難するのも、つまらない行為

である。



さて招かれてお訪ねしたお宅は歴史の重みを感じさせる町家のたたずまいで、間

口は狭いけれども奥行きのなんと広いことか。

こうした屋敷は京都にも多く見られ、一歩、足を踏み込むと、ことさらに歴史を

肌で感じるのは、わたしが開拓が始まってわずか百数十年の歴史しかない北海道

で育ったからに違いない。

そんな旧家の若い主はジャズをこよなく愛する人物で自らもサックスを奏でるが、

その音色は妖しげな色気を感じさせ、祭りを一層、熱狂酔狂の世界へいざなった。

にごり酒の深い味わいと酔い、そしてサックスの音色が肉体を自然に反応させた

のだ。

バリトンとテナーのサックスの音色に合わせ、腰をくねらせながら踊りだした青

年は、いつしかズボンを脱ぎ捨てていたし、「天命を知る」年齢に達したわたし

も、重たい体を振り回していたようである。

年齢よりもはるかに若く見える主のご母堂は、青年やわたしの踊り狂う姿を見て、

あわや呼吸停止か、と思われるほどの笑いに襲われていた。

いわば、熱狂の祭り、というより、バカバカしい祭りを、青年とわたしは演じて

いたのかも知れない。

「踊る阿呆に、見る阿呆、どうせ阿呆なら…」

というフレーズ、そのままであったようだ。

「厳か」という言葉を頭ではなく、わたしの肉体が知るには、まだまだ先のよう

である。



Kさん、そして、ご母堂さま、ありがとうございました、と厳かに申し上げます。
2005.10.21 / Top↑
 温泉には五つの湯船とサウナを備えていた。最初につかった「火口原」と称する湯船が

もっとも広く、入った瞬間に熱いと思ったが、しだいにぬるく感じ始めた。体の芯まで冷

えきっていたようである。

「熱いのはあちらですから」と、すぐそばにいるAさんは教えてくれた。

 Yさんは無言で立ち上がり、熱めの湯につかったので私も移動して身体を温めていたら、

すぐに双子の子供たちもやってきた。

「露天風呂があるよ」と、しきりにすすめる。子供特有の無邪気で粘り強い親切を無視す

るわけにもいかず、スッポンポンのまま外へ出た。

 あたりはすでに闇につつまれていた。外気に触れると温もっていた身体から一瞬にして

体温が奪われていくようだった。男にはありがたいことに天然の寒暖計というようなもの

がついていて、アッという間にしぼんでいく。これは零下二十度ぐらいか、ガンバレと声

をかけながら大きな岩であしらった湯船にそろりとつかってみた。

 徹底的な頭寒足熱である。そして、真っ白い雪がライトに映え、なかなかの風情で、鼻

歌でも出そうなほど気持ちがよくなってきた。ワカサギのエサがウジ虫であろうと、そん

な小さなことにこだわっているのがバカバカしくなってくる。だいいち昔から人類はそう

やってワカサギを釣り上げて食してきたのである。もしかすると油で揚げると香ばしさが

増すのではないかとさえ思い始めてきた。湯の気持ちの良さと「ワカサギのテンプラを肴

に一杯」という心地よい響きが大らかにさせたのかもしれない。



 Aさんの自宅はホテルから歩いても三分ほどの距離にある。自宅前には試作中の風力発

電用の風車が据えられていた。

「先日の吹雪の突風で壊れました」と説明され、これが完成すれば原発のない暮らしが成

り立つのではないかと素人の私は夢想する。その夢に向かって独りコツコツと試作を重ね

るAさんがワカサギ釣りの時とはうって変わって頼もしく見えてきた。

 反石油文明を標榜するAさんは薪ストーブ派で、外国製の分厚い鋳物のストーブに火を

入れると三十畳ほどのリビングとダイニング全体が薪の焼ける香りとともに暖かくなって

きた。戸外にも大型ストーブがあるらしく、そこで薪を焚き、煙を床下に通す仕組みにも

なっているという。いわば韓国式のオンドルに似た構造だというが、「薪づくりが大変」

というほどの量を秋にはすっかり用意しておかなければ、この生活は成り立たないとも言

うのである。

 宴会の支度が始まった。Aさんの奥さんは二百五十室ほどもある大きな温泉旅館の若女

将として大忙しの身だから、平日の昼間からワカサギ釣りに興じるような風来坊たちに構

ってはいられないはずだが、すでに料理を数種類用意してくれていたようである。夫人は

韓国出身で大皿に盛られた韓国の家庭料理がテーブルに並べられた。

 続いてテンプラの用意である。Aさんが台所の片隅に立ってテンプラ粉の入った袋を手

にして説明書きを大きな声で一語一語確かめるようにゆっくりと朗読しはじめた。頭の中

で段取りをイメージし、整理しているのだろう。学究の徒は、そうやって頭に知識をため

込んでいくのだろうかと思ったが、その姿をながめながら不安がまた立ちあがってきた。

「この人はテンプラなんか揚げたことはないのだろうな」という思いにとらわれ、指先が

しびれるほど凍てつく寒さの中で釣ったワカサギの行く末を案じた。

 しかし、マニュアル通りにテンプラ粉をとき、そこにワカサギをサッとくぐらせ、油の

入った卓上用の鍋にワカサギを投入すると油が泡立った。続けて数匹を投入してしばらく

すると、水泡の勢いがおさまってきた。

「そろそろいいんでないか」

 と、Yさんが言って引きあげ、油を切るまもなく、全員の口にワカサギが入った。天つ

ゆもつけずにハフハフといいながら熱々を頭から丸ごとかぶりついた。じつに美味である。

次に塩をふってみる。さらにうま味が出てきた。臭みもなく、やわらかな白身の肉が口の

中でとけるようだった。

「うまい」

 芋焼酎をグイとあおりながら大人たちはうなずき、子供たちも「今日はパーティ?」と

嬉しそうに何度も尋ねた。

 Yさんが揚げ係を積極的に引き受けてくれた。電気設備会社を営む彼は、こういうこと

が好きなようである。Yさんは、せっせとワカサギを揚げ、揚げる片っ端から二人の子供

も含め全員が勢いで食べていたから、私はここでもウジ虫のことについては触れずにいた。

 夫人が仕事を終えて帰ってきたのは午後七時半を過ぎた頃だったろうか…、すでに記憶

があいまいになっているのは調子に乗って焼酎を飲んでいたからだが、その後、日本酒を

やり、シャンペンのようなモノをやり、北海道産の甘口のワイン、シングルモルトのウイ

スキーにも手を出したことまでは記憶しているが、その順番を考えるとたちまち深い闇に

立ち入ってしまう。

 洋服に着替えていたが、和服のよく似合う夫人は日本語がじつに達者である。筑波大学

の留学生として来日し、そこでAさんと出会い、国際結婚。大学では日本文学を専攻、卒

業論文には主に戦前に活躍した小説家、堀辰雄の代表作『菜穂子』を研究したと聞かされ、

読んだ気になっているだけの私はたちまち小さくなってしまった。彼女が日本文学や日本

の文化に精通しているようなので、その分野への深入りをあえて避けたわけではないが、

「本当に美味しい料理ですね」「どうしてこんな変な人と結婚したのですか? 何もこん

な日本人と…」と、質問が下世話な方向へごく自然に流れていった。

 気さくな夫人だからか、軽口が出はじめ、酒宴が盛り上がってきた。私はワカサギが全

員の胃袋におさまったのを見計らい、念頭から離れずにいた事柄について聞いてみた。

「エサに使っていたサシってのは、何?」

 と、私はAさんとYさんに向って尋ねた。

「…」

「どうみてもウジ虫だよな」

 と私が言った瞬間から酒宴の空気が変わった。

「やめれや、今ごろ言うな! だいぶ食っちまったべや」

 Yさんは顔面をゆがめて言った。彼は食物の連鎖について、あまり深く考えていなかっ

たようである。

 ついでだから私は畳みかけた。

「野暮を承知で言うけど、これ、四千八百円分だよな。一匹なんぼになる?」

「…」

 今度はAさんが反応した。

「もしかしたら鯛より高級な魚を食べてるの?」

 彼は目をパチクリさせながら言った。

 遊びや酒に興じている時は童心に返っていた中年たちも経済観念を取り戻した瞬間から

不幸のドン底へ叩き落とされたような表情に変わった。しかし、そこは大人である。

「最高級のワカサギをいただいたということで、乾杯!」と、何とか気持ちをおさめたの

である。

 ちなみに私は、その後、市内のスーパーへ買い物に行った際、何気なく魚売り場をのぞ

いたらワカサギが三十匹から四十匹ほど盛られて売っていた。値段を見て、茫然自失。二

百八十円なのである。ケタ違いとは、まさにこのことであった。

 さらに後日、Yさんはワカサギの食べ方について、あちこちで情報を収集したらしい。

それによるとワカサギは爪楊枝で内臓をピッと取りだしてからテンプラに揚げるのがふつ

うなのだそうだ。やはりウジ虫対策を講じていたのである。

「だってそのままテンプラにしてるべや、みんな、そうやって食ってるっしょ」

 諦めきれないYさんは、すがるように反論を試みたらしいが、

「それは網でとっているやつだわ」

 と、あっさりかわされてしまったという。



 夫人は「うまいッ」と叫びたくなる料理を次から次と出してくれた。そして、私はある

ことを思いだしたのである。韓国では客が食べ残すほど料理を出すのが、もてなしの基本

である、という話を私は現地で聞いたことがあるのだ。満腹状態になっている私は鍋料理

を用意している夫人に、そのことについて尋ねてみたら、

「その通りです。おばあさんがそう教えてくれました」

 と、答えたから、大変である。

 日本人は、食べ残すのは行儀が悪いと躾けられてきたから、食べ残すわけにはいかない

という意識が強く働く。まして初めて訪問するお宅であり、なおかつ忙しい身でありなが

ら不機嫌な顔をひとつ見せずに料理を出してくれる夫人のために、Yさんと私は、食べ残

すのは気が引けたのである。食べ残すほどの料理を出すことがもてなしと思っている夫人、

食べ残すのは不作法であると躾けられた日本人、これは壮絶な戦いになる、と思った。

 けれども、私たちはそこに気がついて早々に観念した。

「奥さん、ここは日本ですけど、韓国流にしましょう。もう食えんわ」

 と、白旗を掲げ、最後の海鮮チゲを残してしまった。惨敗であるが、夫人は大層嬉しそ

うな顔をしてくれた。

 その日、酒宴は十二時頃でお開きになり、Yさんと私はAさん宅をおいとました。その

後、Yさんと二人で反省会を開くことで意見が一致、知人の経営する本格バーへ向った。

反省会は午前四時過ぎまで行われた。そこでもボトルを一本は倒したようである。

 翌日、仕事に出ていたYさんはひどい二日酔いに苦しんだという。しかし、午後になっ

ても症状が好転しないので、こんな二日酔いは初めてのことだと思い、ためしに体温計を

取りだして計ったら三十九度を超えていたという。Yさんはたちまち病人になってしまい

病床に伏してしまった。もし体温計がなかったら、彼は「ひどい二日酔いだ」と思いなが

ら、ずっと仕事を続けていたのだろうか。

 そう思わせるほど彼は酒豪なのである。

 高校三年の大晦日、私は友人Sさんを連れ立ってYさんを誘い、初詣に行く予定だった。

ところが途中立ち寄ったSさん宅では年末恒例の家庭麻雀大会が開催されていて、これが

なかなか終わらず、Yさんの家にたどり着いた時は、Yさんはすでに深い眠りについてい

たのだった。母親に起こしてもらってもウンともスンとも言わない。

「さっきまでウイスキーを飲みながら、遅いなぁ、とぶつぶつ言いながら待ってたんだけ

どね」

 と、申し訳なさそうに母親が言う。

「どのくらい飲んだの?」

「二本ぐらい飲んだんでないべか」

「…」

 というほどの酒豪であるから、彼がタチの悪いインフルエンザを、ひどい二日酔いだと

思い込んでいたのもうなずけた。

 私の方は、本物の二日酔いに苦しんだ。締め切りに追われている真っ最中の釣り会&飲

み会だったので風邪を引いている場合ではなかったが、締め切りを終わって気が抜けた直

後に風邪にやられ、ダウン。

 という話を後にAさんに話すと、

「すごいですね、お二人とも」

 酒の強さに驚いているのか、それともおバカな人たちだと思ったのか、妙に感心してい

るから、

「Aさんは、その後、どうでした?」

 と尋ねると、彼はすぐにこう答えてくれた。

「あれから三日間ほど寝込んでいました」

 厳寒のオホーツクに生まれ育った男たちだったが、氷上のワカサギ釣りをなめてかかっ

ていたことを素直に反省しなければならない。

 それにしてもあのワカサギのテンプラは美味であった。金にはかえられない、という言

い方があるが、あのワカサギはまさにそんな味だった。



                                      [了]



 (※ この『高級魚を釣る』は、佐渡限定で毎月発行されている『ばすぬす』に発表し

    たものに加筆訂正をおこなったものです。これをYさんとAさんに捧げます)
2005.10.20 / Top↑
 厳寒の地、オホーツク海のそばの網走湖で氷上のワカサギ釣りを初めて体験した。

 子供の頃、その湖には天然のスケートリンクができた。粉雪は強い風に吹き飛ばされ

て、まるで掃き清められたように氷の世界が広がっていた。冬休みになると毎日のよう

にスケート遊びに興じたが、当時、ワカサギに目も向ける者がなかったのか、釣り人を

見た記憶がない。しかし、近ごろは湖に色とりどりの華やかな風よけ用のテントの中で

暖房器具を持ち込んだ釣り師たちが五十センチ以上の厚さの氷を手動ドリルで穴をあけ、

数時間で百匹、二百匹という単位でワカサギを釣っているのだそうだ。

 昨年、その湖のほとりに建つ老舗観光温泉ホテルの三代目のAさんと知り合いになっ

た。そのAさんにこう言って誘われたのである。

「一度、わが家に遊びにきませんか? 三十分ほどワカサギを釣って、冷えきった体を

温泉で温め、テンプラを肴に一杯というのは、どうですか?」

 一度酒を飲んだ程度の関係なのにAさんは私の嗜好をピンポイントでついてきた。

「釣ったばかりのワカサギのテンプラを肴に、一杯」とは何と心地よい響きであろうか。

 さっそく私は釣りに凝りはじめたという友人のYさんを誘った。ともに酒はいける方

で私は純米酒、Yさんは鹿児島の芋焼酎を二銘柄用意しておもむいたのである。

 釣りに参加したのは、Aさんの五歳になる男女の愛らしい双子と大人三人。その五人

がワカサギ釣りを仕切っている管理人室の前に立ったのは、夕方の四時前で陽は落ちて

いなかったから、それほどの寒さは感じなかった。

「えッ? 四時までですか」

 と問い返したのは、Aさんである。約十分後に貸し竿を回収し、管理人室を閉じるこ

とになっているという。

 Aさんの父親が経営するホテルは目と鼻の先にあるのに、そんなことも知らなかった

のだろうかと、うっすらとヒゲをたくわえた自然派らしい容貌のAさんをしげしげと見

つめて私は内心不安になった。

 Aさんはあわてて名刺を取りだして、

「私はあのホテルの専務です、明日竿を返しに来ますから」

 と強引ではないれども、拒否を許さない頑な姿勢で頼み込んで承諾されたのだが、私

は自分の思い込みの強さを反省しなければならなかった。

 湖畔で生れ育ったAさんならワカサギ釣りなどお手の物、装備も万全、すべておまか

せでOKと思ったのは、とんでもない間違いだったことに気がついたのである。

「いえ、僕は一度だってやったことはありませんよ。あんな寒いところでよくやってい

るなァと、バカにしていたクチですから」

 と聞かされ、私は愕然、呆然として、肩とアゴがはずれる思いだった。

 ためしに魚釣りに凝っていると言っていたYさんにも聞いてみた。

「オレは夏の海釣り専門だからなぁ。ワカサギは初めてだわ。こんな寒いところで好き

好んでやらんべさ」

 彼は短いパッチに股引き、指先を切った軍手、二種類のホッカイロで冷えを防ぐとい

う装備で身をかためていたからかなりのベテランのように見えたが、見えただけであっ

た。結局、双子の子供を含め、全員が「ド」のつく素人なのである。

 管理人に千六百円徴収された。入漁料、貸し竿、エサ代だという。子供は無料だから

大人三人合計で四千八百円なりである。嬉々として竿を受け取ったのは、それが高いの

かどうか、世間の相場にもうとかったし、何より百匹、二百匹単位で釣れると聞いてい

たからである。ずっと地元にいるYさんにいたっては「釣り終わる頃、連絡するから取

りにこい」と、知人に豪語していたほどである。

 初老の管理人が素人集団を引き連れ、釣り場に案内してくれた。といってもそこら中

にあいている穴ポコすべてが釣りのポイントであるから案内なしでもわかるというもの

である。

 しかし、ちょっとそこまで外出といったいでたちで釣り竿をかついでいる私が、その

ド素人の代表のような顔をしていたのだろうか、管理人は私の竿をとり、7つの小さな

ハリにサシと呼ぶエサをつけながら、エサのかけ方を伝授してくれた。フムフムと言い

ながら大人は真剣な顔で見つめていた。

 管理人は、穴の中にソーッと糸をたらした。

「湖底にオモリがついたら、わずかに引き上げればかかりますから」

 と説明している間にもピクピクというアタリがきた。引き上げると銀色に輝くワカサ

ギが一匹かかっている。ワカサギの口を傷めないようにハリを抜くのではなく、口を傷

めてもいいから、そのまま引きちぎればいいという。そのワイルドな感じが指先の不器

用な私にはありがたいと本気で思ったものである。

 釣り上げられたワカサギはそのまま氷の上に放置され、三秒ほど飛び跳ねていたが、

すぐに瞬間冷凍の状態になった。

 何の技術もいらぬ。ただエサをつけ、糸を垂らせば食いついてくるのである。素人で

もできる。さっそく釣りにかかった。すぐにアタリがくる。大漁の兆しである。子供た

ちにも釣らせ、釣れた魚をはずし、エサをつける。

 三十分も経過したろうか、男の子が、

「オシッコしたい」と訴えた。

 冷えてきたのである。

「その辺でやりなさい」と、父親のAさんは立ちションをすすめながら、注意も忘れな

かった。

「穴の中にチンチンを入れてしたらダメだよ」

 Yさんと私は目を合わせ、笑っていいものか、どうか迷った。万が一、そのようなこ

とをしたら一瞬にして可愛いオチンチンがワカサギのように凍りついてしまうから本気

で注意したのだろうと解釈したが、そうではなくジョークだとしたら、Aさんについて

見直しの必要を迫られたような気がした。

 原子物理学に関心を抱いた彼は、ある政府関係機関で水素を使った核融合の研究者と

してのキャリアを持つ。原理は水素爆弾と同じだが、研究者の間ではその危険性につい

てほとんど認識されずに平和利用を目的として研究を重ねられていたというから驚きで

ある。しかし、彼は一転して反核主義に回り、原子力エネルギーはおろか石油や電気に

も頼らない生活を目指して奮闘している。彼の試作中の家庭用の風力発電機が完成すれ

ば、かなりの電力をまかなうことができそうで大いに期待できる。ともあれ、彼は大真

面目な学究肌のタイプであり、私や飲み仲間のような低俗なジョークを言ったりするも

のだろうかと、その正体がわからなくなってしまったのである。

 立ちションの頃から、釣れる間合いが心持ち長くなってきた。そして五時近くになり、

それまで凪いでいた空気が突然、破られた。風が雪を舞い上げるように吹いてきたので

ある。冷気が全身をおおい、冷えた顔面の筋肉がこわばっているのがわかる。まるで冷

凍庫に閉じこめられたような寒さである。

「網走市内が零下十度なら、こちらの方は零下二十度ぐらいですかね」

 Aさんが軽く言っていた言葉を思いだす。

 不器用な私には薄暗いためによく見えないのと、指先が冷たくなってエサをうまくつ

けられなくなってきた。ええい、面倒くせえ、という気持ちがせり上がってくるのを自

覚したとたんに、よろしくない妄想がわいてきてしまった。

 このサシと呼ばれるエサは明らかにウジ虫なのである。寒さで仮死状態になっている

から気にならないが、動き回っていたらとてもじゃないが、釣りなんかやっていられる

ものではない。そして、このウジ虫をエサにワカサギを釣り、釣れたワカサギを人間が

食うということは、あまりにもわかりやすい食物の連鎖である。だから目の前のウジ虫

に感謝しなければならないのだろうが、この寒さのなかでは、そんな余裕もない。

 だいたい、このウジ虫は何を食って生きてきたのかと考えてから、すっかり釣りへの

意欲を失ってしまった。私の子供の頃、湿った木くずや蓆の中でモゾモゾと生息してい

ただけではなく、便所の中にも、それはいた。動物の腐りかけた死骸の中にもうごめい

ていたのを、私は見て知っているのである。

 という想像にいたったところで、「もう上がろう」と声をかけ、釣りを終えることに

した。子供が数えたところ、合計で三十八匹ほどの釣果があった。「百匹単位で釣れる」

というのは釣り師特有のホラ話としても大人三人で三十八匹、しかも四千八百円の大金

がかかっているから、一匹あたり百二十六円になる。それに一時間の労働時間を大人三

人分加えたら…、などと計算するのはヤボというものだから私は、そのことには触れず

に黙って温泉につかった…。



                              (後編へ続く)

 
2005.10.19 / Top↑
10月11日のブログ『網走から』でYさんが陶芸を始めたという話を書いた。

そこでYさんに「ブログで、あんたのこと書いたわ」と携帯のメールでアドレ

スを書き込んで知らせたら、すぐに返事が来た。

「ブログってなんだ?」

ブログがたいへんな勢いで世界に普及しているという話を、新聞やインターネ

ットの記事で何度も読んでいたので意外な反応に素直に驚いた。

ブログも知らないのか? というほどわたしも、このIT文化に精通している

わけではないので、

「ホームページみたいなもんだ」とだけ書いておいた。



Yさんは、網走では老舗中の老舗といっていい50年も続いている電気設備会社

の社長である。

そういう仕事なのだからパソコンを使用しているはずだし、ブログの存在はご

存じであろうと思ったのだが…。



しばらくしてYさんからパソコンの方に「ブログ見たぞ」というタイトルのメ

ールが届いた。

彼は、釣りの腕はまだまだで、小さな青ゾイを釣ってご満悦と書かれたことが

不満らしく、このように書いてきたのである。

「今年、青ゾイは好調で6月19日なんて28本釣り上げた。通算で38本上

げたんだゾイ。」

確実に釣りの腕も上げているようで、これではブログなんぞやっている暇もな

いのだろうと思った。

この調子で行けば、「Yさん自身が作陶した大皿に青ゾイの刺し身」をいただ

けるのも、そう遠い話ではないようである。



Yさんとは小学校1年の時に同じクラスになって以来の関係である。

このYさんと共に小学校1年以来の友に、Sさんという人もいる。

3人は一緒に勉強した記憶はないけれど遊んだ記憶なら山がくずれるほどある。

洟垂れ小僧の小学校1年生から40数年にわたるエピソードを並べていけば間

違いなく一冊の本が書き上がるだろう。

いや1冊ではおさまるまい。

そろそろ書く準備をしておこうと思う。

そう考えただけで腹の底から笑いがせり上がってくる。

ずいぶん以前、佐渡の同人誌というべきか、「ばすぬす」という小冊子に『高

級魚を釣る』という散文を書いたことがある。

そのせり上がってくる笑いが、ここにあるので、それを次回、紹介してみたい。
2005.10.15 / Top↑

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