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森の中の雪道を犬と散歩していると、さまざまな野生動物の足跡を発見する。

この足跡は、鳥だな、キジだろうか…。

凍ての中を生き抜く小動物のけなげな姿に想像を巡らせていて、

ふと、昔々に読んだ詩の断片がよみがえってきて詩の持つ力強さをあらためて認識した。

その詩である。



雪のうえに足跡があった

足跡を見て はじめてぼくは

小動物の 小鳥の 森のけものたちの

支配する世界を見た

たとえば一匹のりすである

その足跡は老いたにれの木からおりて

小径を横断し

もみの林のなかに消えている

瞬時のためらいも 不安も 気のきいた疑問符も そこにはなかった

また 一匹の狐である

彼の足跡は村の北側の谷づたいの道を

直線上にどこまでもつづいている

ぼくの知っている飢餓は

このような直線を描くことはけっしてなかった

この足跡のような弾力的な 盲目的な 肯定的なリズムは

ぼくの心にはなかった

たとえば一羽の小鳥である

その声よりも透明な足跡

その生よりもするどい爪の跡

雪の斜面にきざまれた彼女の羽

ぼくの知っている恐怖は

このような単一な模様を描くことはけっしてなかった

この羽跡のような 肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは

ぼくの心にはなかったものだ



突然 浅間山の頂点に大きな日没がくる

なにものかが森をつくり

谷の口をおしひろげ

寒冷な空気をひき裂く

ぼくは小屋にかえる

ぼくはストーブをたく

ぼくは

見えない木

見えない鳥

見えない小動物

ぼくは

見えないリズムのことばかり考える





            ~ 田村隆一 「見えない木」 ~
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2006.01.25 / Top↑
朝青龍が連敗だ?

白鵬の小手投げ、よほどきいたなァ。



ライブドアがピンチだ?

引っ越しをしなければ、いけないのかァ。



勝ち組同士の取り組みなんか、どうでもいいけど、

このブログが消えると、非常に困る。

沈没寸前の船にもぐり込んでしまったネズミの心境…。

といって、ホリエモンと一緒に沈没するのも、面白くないので、

これまで書いたもの、ほぼコピー。

さて、今度は、どこへ引っ越すか。


2006.01.20 / Top↑
3年前の2003年7月、相撲がらみの小泉純一郎について、こんな文章を書いた

ことがある。

『観戦する』というタイトルだったが、その一部、余談として書いたものだ。

わたしが小泉純一郎という男を信用できない理由は、ここにあるので、抜粋し

てみた。



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武蔵丸である。

やる気があるのか、ないのか、本人すらわからないまま土俵に上がっているの

ではないか、と思わせるのが、武蔵丸の個性である。

ある日、アナウンサーが解説者に、

「今場所の武蔵丸は、どうでしょうか?」

と、質問したことがある。

解説していたのは相撲協会の理事長だった9代目出羽海親方(その後、境川を

襲名、元横綱佐田の山)だが、しばらく考え込んでから、こう言ったのである。

「う~む、武蔵丸ですね。平常心を出しすぎていますね」

アナウンサーは、笑いもせずに、話題を変えた。

平常心を出しすぎると前理事長に言わせる武蔵丸って、もしかしたらすごい男

なのではないかと、本気で思ったものである。



忘れられない一番がある。

貴乃花がヒザに致命的なケガをした直後の優勝決定戦である。

相手は武蔵丸だった。

結果は、貴乃花がヒザの痛みを乗り越えて武蔵丸を土俵に転がして勝ち、優勝。

総理大臣になったばかりの小泉首相が総理大臣賞を手渡す際に

「感動した!」と絶賛した例の一番である。

腹が立った。

猛烈に腹が立った。

「感動もクソもあるもんか。武蔵丸の立場に立ってみろ!」

あんな一番に感動する総理なんてロクなもんじゃないと、すぐに「パフォーマ

ー小泉」を見抜き、日本の将来は暗いと、瞬間的に判断して酒をあおったこと

を覚えている。

おそらく武蔵丸は角界で一番気の優しい男ではないか。

この「平常心出しすぎ」の大男がヒザに致命傷を抱えた人気横綱に対して全力

でぶつかることができるはずがないではないか、と思ったのである。

イヤな一番だな、若貴兄弟対決以来の観たくもない勝負だと思い、私が貴乃花

なら、不戦敗の道を選ぶ、私が総理なら、不戦敗の道を選ばせる、などと愚に

もつかぬことを妄想しながら最後まで見届けてしまった。



話は変わるが、この小泉首相、その後、鹿児島県の知覧(少年兵が特攻隊とし

て死地に飛び立った飛行場)を訪れ、特攻記念館を見て回った際に涙を流した、

と報じられた。涙を流せば美談調になるが、冗談ではない。

「怒れ! 吠えろ!」

と言いたくなるではないか。

青年を無残に死なせた、時の権力者たちへの怒りを新たに「不戦の誓い」を述

べていただきたいところだが、「パフォーマー小泉」は、平然と涙を流すので

ある。

こうしたパフォーマンスに弱いのが大衆というものなのだろうか…。
2006.01.18 / Top↑
知人が毎月発行している小冊子がある。

そこに連載の形で寄稿しているが締め切り日はすでに過ぎていて、今日書き上

げなければ絶対に間に合わないという。

そういう緊迫した事態が迫っているのに、今日に限って電話の多い日だった。

産廃問題で緊急会議が開かれるという情報が駆け巡り、情報収集の電話が飛び

交った。

そればかりか、北海道から長距離電話が入って新年の挨拶やら世間話をしてい

ると、そのかたわらで携帯電話にメールが着信する。

電話を切って、メールの返信を打ちこんでいるうちに、また電話が鳴りだすと

いう具合。

おかげでヒューザー小嶋社長の証人喚問の様子も見ることができなかった。

これも、小泉純一郎が仕掛けたことだな、と思いたくなる。



今日は阪神淡路大震災から11年目にあたる日。

メディアは当然、現地取材に入る。

その日にピタリと照準を合わせてヒューザー小嶋の証人喚問をぶつけた。

それでも足りずに前日の日暮れからライブドアの強制捜査を開始して、徹夜の

作業。

詳しいことは不明のままにして朝刊の一面を飾る。

そして、今日は幼子4人を無残に殺害した宮崎勤の死刑が最高裁で確定した。

メディアは、大混乱である。

わたしも、大混乱である。

大相撲を観ることができないほどだった。



それにしても小泉純一郎という人はメディアの扱いが巧みな人である。

ミエミエになっていることはふつうやりたがらないものだが、彼は、そんなこ

とをいっこうに気にせずにメディア撹乱をやり遂げる。

そういう人間である。手段選ばす、目的遂行。

朝青龍、前人未到の7連覇を達成するとみるや、九州博多まで飛んで、全国に

放映しているNHKカメラの前で「見事だ!」と叫んで総理大臣賞を授与したけれ

ど、土俵が穢れたように思えた。

そして今日、NHK午後7時のトップニュースは、ライブドア関連だった。
2006.01.17 / Top↑
昨日のブログに「あっぱくさい」と書いたら、ある人から、

「あっぱくさいってなんだ?」という質問をいただいた。

おそらく北海道の方ならご存じだろうと思うけれど、

「その意味は? 標準語にするとどうなる?」

と、あらためて考えると、うまく訳せない。

だいいち、この言葉、30年以上も使用していなかった。

昨日、突然、口から出てきて、ブログに書いたのだ。



そこで検索してみた。

ありがたいことに、北海道弁をしっかりと標準語に訳してくれているサイトを発見した。

「お笑い北海道方言辞典」である。

以下、引用させていただく。



●あっぱくさい(形) 

「あほくさい」「易しすぎて問題にならない」「お茶の子サイサイ」と言った意味。

 ・使用例「こんな仕事あっぱくさくてやってれんべさ」

 「コワッパ臭い」が語源と思われるが、ジャイアント馬場の「アッ、パー」

 が語源であると主張する者も富良野にはいる。



北海道には友人がたくさんいるけれど、

「な~んも北海道には方言なんかないっしょ。標準語だべさ。バカにすんでない」

と言い張る人がけっこういる。

とくに北海道の大都会、札幌に住む人に、この傾向が強い。

「函館の方には方言がありますよ。ぜんぜん、わからない言葉もあるから。だけど

札幌はないと思いますよ」

と、無理して標準語で説明するが、ちょいとリラックスして話し始めると、すぐに

馬脚をあらわす。

「今年の冬は寒いんでないかい? こっちではあまり手袋はしないけど、どう?」

などと、ひっかけると、

「手袋はかないと、どうもならんね」てな具合に、すかさず方言が出てくる。

「手袋をはく」というのは、標準語だと北海道の人は思い込んでいるのである。



昨年10月19日、20日付けのブログに『高級魚を釣る』を書いたが、ここに登場する

Yさんの、この文章を読んでの最初の感想は、

「や~や、お前さ、オレ、こんなに訛ってないべや。誇張しすぎだべさ」

という抗議だった。

しかし、その横で話を聞いていた人は、

「いや、Yちゃんのはひッどいよ。北海道弁丸出しだべさ」と、助け船を出してく

れた。



このように北海道の人々の大多数は、わたしたちは標準語を喋っていると、かたく

なに信じているのである。

じつは、わたしもそうだったし、いまもなにが標準語なのか、わからないまま北海

道弁を喋っていて指摘されることが、あるほどだ。

それでいいのだ。

いつまでもそう信じているかぎり、北海道弁は永久に不滅だべさ。
2006.01.15 / Top↑

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