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住民全体集会が終わった。



結局、西二宮は、この集会をボイコットすることになった。

ボイコットするからには、それなりの覚悟も必要だった。



西二宮抜きでルート問題に決着を図られてもやむを得ないという覚悟である。





佐渡市の最終提案は、通行比率「西二宮7割」、西二宮における搬出入コース

は「六右衛門橋ルート」と「長橋ルート」というものであり、たとえ参加して

も、この案で決着を図られることは目に見えていた。



そして、参加して西二宮がその案を了承できないとした場合、佐渡市はその時

点で調整から手を引くことも予測された。



そうなると、この産廃問題は県から操業の許可を手にしている業者のやりたい

放題になり、住民全体が一方的に不利な状況下に置かれる。

西二宮はそのことを最も恐れていたから、参加するよりも、態度を表明せずに

いられるボイコットで対抗するしかなかったのである。



もちろん、西二宮が出席しない全体集会では開催する意味も薄れる。

だから佐渡市は、全力で説得にかかってくるだろうと予測もしていた。



実際、ギリギリの攻防が続いた。

開始時刻に入ってもなお佐渡市から電話による参加要請が入る。



「出なければ西二宮がひとり悪者になる。市としても、これ以上の調整は無理」



それでもなお西二宮が踏みとどまったのは、とにかくコースの特定はできない

までも「新ルート建設」に“担保”がないかぎり、どんな案でも呑めないとい

う強い姿勢があったからである。



つまり、佐渡市の最終提案が新ルート完成までの暫定案にすぎないことの確認

が必要だった。

逆に言えば“担保”さえあれば、これまでも通行比率の割合などでもめること

もなかったのである。



一昨日、「周辺」というネームでコメントを下さっているけれど、担保さえあ

れば、たとえ100パーセントでも我慢もできるというものである。

つまり、担保がないから割合が増えれば増えるほど、これが未来永劫、続くの

ではないかと恐れていたのである。



しかし、全体集会で佐渡市は新ルート建設に積極的にかかわることを表明した

ようである。

これまでの混乱の責任を引き受けた形でルート問題に決着をつけようとしてい

るのだから西二宮も、もちろん十分、それに応えなければならない。



ただし、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、この産廃問題の混乱を招い

た原因をしっかり究明したうえで、佐渡市は「産廃条例」を作る必要があるの

ではないか。


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2006.03.31 / Top↑
佐渡市は、3月いっぱいでなんとしてもルート問題をかたづけてしまいたいようだ。

それに合わせて、まわりも動いている。



混迷するルート問題を一気に片付けてしまいたいと、29日に住民全体集会を開催する運

びである。

西二宮7割の通行比率、そして、西二宮のど真ん中を通る「長橋ルート」を、力づくで

認めさせようと、圧倒的多数の早期協定締結派と佐渡市が結託して画策する。

磐石な包囲網が出来上がっているところに、のこのこと西二宮がでかけていけば、結果

はわかりきっている。

さて、西二宮は、どうでるか?

包囲の網を仕掛けている人々は、固唾をのんで様子をうかがっているだろう。



責任のありかをあいまいにしたままには、協定など結べない。

単独であっても、その責任は追及して行く覚悟。

3月16日付けで佐渡市から回答が出ているが、不満だらけ。

明日、再申し入れを行って、戦って行く。

おかしいと気がついたならば、それをただしていくことこそ、大事。



それにしても、忙しく、慌ただしい。


2006.03.28 / Top↑


『りきすし さわた』は、昼どきの12時を過ぎても暖簾がかかっていないこ

とがある。

ランチでも食おうと心に決めていた人にはがっくりである。

本来、こういうことはあってはならないことは親方自身がよく知っているの

だが、どうしようもない事態にはまって半べそをかいているのだろうと想像

できる。



彼の朝はひどく多忙である。

競りのある日は必ず魚介を仕入れるために相川の自宅から両津の市場まで出

かけている。

業者まかせではなく自分の眼で確かめたうえで仲買人に競り落としてもらう

のだ。



佐渡のなかでも市場まで出かけている寿司職人は、そうはいないだろう。

卸業者を信用していないわけではない。

魚介の最前線の現場を把握しておきたいという意欲である。

それが結果的に仲買卸の業者との深い絆を作ることにもなるし、なによりい

い魚が手に入る。



港から店に戻る途中、彼は佐渡の銘酒・金鶴の蔵元加藤酒造に立ち寄る。

酒造りに使用している仕込み水を汲んでいくためだ。



酒も寿司も、米が命である。

その命を輝かせてくれるのが、水である。



加藤酒造は1993年、佐和田・沢根から大佐渡連山が貯えている豊かな軟水を

求めて大佐渡の麓に位置する金井に移転するという大英断を下したが、米と

水の究極の相性を求める『りきすし さわた』の親方も、ここの水に惚れ込

んだ。



もちろん、昵懇の仲である加藤酒造の加藤健社長のはからいにより、毎朝、

寿司飯を研ぐ、炊くための水を提供してもらっているのだ。



魚介と水を仕入れて店に戻るや、休む暇もなく仕込みが始まる。



寿司屋の格を決めるのは、まぐろである、という人がいる。

半分はうなづくけれど、1貫が3000、4000円という馬鹿高い寿司種だけで寿

司屋を判断してはいけないとも思う。



むしろわたしは、タコで、その店の格を決めたい。

タコのうまい店は何を食べてもうまいと勝手に思っている。



タコの仕込みを、御存じだろうか。

これは肉体労働といっていい。

塩もみにどれだけ時間をかけるか。

これが面倒で、業者任せにする寿司屋が多いし、業者によっては専用の洗濯

機の中にタコと塩を入れてガラガラとやるという話を聞く。



これでは繊維が崩れ、柔らかいけれども歯ごたえもなくなる。

だいいち表面の皮が破れ、見た目が悪い。



やはり、ていねいな手もみである。

1時間もかけてもんでいるうちに、難しいとされる茹で時間も把握できる。



こうしてでき上がったタコを煮詰めた甘がらのツメではなく、塩だけで食べ

てみるとわかるが、タコの香りが口の中に広がるのだ。



『りきすし さわた』のタコには、その大事な香りがある。



1貫のタコを食べるのは、一瞬である。

しかし、その背後にはとてつもない膨大な手間と時間がかけられているので

ある。



今回はタコをとりあげてみたが、もちろん他の寿司種にもていねいな仕事を

しているし、何より魚介を仕入れ、水を汲み上げるところから仕事をしてい

るのだから、たまに昼どきの暖簾がないってことになる。



そんな事情がわかれば「金輪際、りきすしには行かないぞ」などと空腹のあ

まりやけになることもない。



そんなときは、親方は半べそをかきながらタコをもんでいるにちがいない、

と想像してやることである。



1貫の香り高いタコを食うためには、じっくり待つ。

それが豊かな食文化を育てることになるはずである。
2006.03.17 / Top↑


文章とは難しいものである。



読む側の心の状態、置かれた環境、教養の深さによって解釈はさまざまに変わる。

わずか31文字に込められた日本伝統の和歌は、その象徴のような詩歌である。

そのまま読んでも、なんのこっちゃ、とさっぱりわからないけれど、書き手の人とな

りや書かれた当時の時代背景、環境、さらには花鳥風月を知ることによって、その意

図がわかり、言葉の持つ深みがわかってくる。



文章とは、奥の深いものであり、だからこそ文章を作成する場合には心してかからね

ばならないと戒めている。





昨日、当ブログの『立て看板と青いダンプ』に、「市外者」というネームで次のよう

なコメントをいただいた。



 通りすがり・・・のつもりが、

 ついつい引き込まれて、読んでしまいました。

 佐渡市って新潟県の、ですよね。

 いまではあの夫婦のニュースだけが、

 世間へ流れるだけなので、それ以外は

 何も知らなかったのですが・・・。

 離島にあこがれる都会人は、

 瀬戸内海でも南西諸島でも、

 そうして佐渡で、心を痛めるような無残が

 白日のもとに、行われているんですね。

 それも、ただただ己が所有欲・金銭欲のために、

 だ・け!!!

 本名でこういうアクションをされているとは、

 人の命が木の葉よりも軽いこの節、

 頭がさがります。

 どうかくれぐれもお気をつけて、

 頑張ってください。





一読すると、激励のコメントであり、たいへんありがたいと素直に感謝したい気持ち

になる。



しかし、次に書き手の意図をさぐるように読んでみると、まったく異なる解釈が生ま

れてくるのである。

「脅し」ではないのか? という視点から読んでみる。

すると、すべての言葉が疑わしく思えてくるから不思議である。



「佐渡市って新潟県の、ですよね。」

と、わざわざ書いている。

少なくともわたしは佐渡といえば、日本全国、新潟の佐渡しか知らないし、わざわざ

書くことでもない。



これは「市外者」であることを強調するために書いたもので、もしかすると島内の人

間ではあるまいかとの疑いも生まれてくる。



そして、佐渡について「あの夫婦のニュースだけ」という言い方も、不自然さを感じ

るのである。

ジェンキンズ夫妻のことを指しているのだろうけれど、この夫妻に好感を持っていな

いことを問わず語りで主張しているような印象を受ける。



仮に産廃問題、環境問題に関心のある人ならば、「あの夫婦」だけではなく、朱鷺に

ついても触れるのではないだろうか。

とすると「市外者」という人は、政治がらみ、謀略がらみにより関心の強い人なのだ

と予測される。



それを裏づけるように、次の話題である。

「瀬戸内海」とは、豊島のことではないか。

この豊島で長年にわたって行われてきた不法投棄を示唆しているのだろう。

もちろん、暴力団がらみの話であることも簡単に想像できる。



さらに「南西諸島」は、ライブドア事件の深層にかかわるカジノを中心にすえた石垣

島リゾート計画を暗に示しているのではないかと思われる。

これはいうまでもなく、“野口氏の謎の自殺”までを含んだ話なのだろう。

なぜ、このように深読みをするかといえば、後半にわざわざ、こうしたためてあるか

らである。



「人の命が木の葉よりも軽いこの節」

「どうかくれぐれもお気をつけて」



要するに「月夜の晩ばかりではないぞ」と言われているような気がしてくるのである。

「本名でこういうアクションをされている」というのも、ずいぶん度胸があるじゃな

いか、と挑発されているような気もするのである。



「市外者」という人が、本当に素直に激励のつもりで書いてくれたのかも知れない。

しかし、言葉をより具体的に書いていただかないと、読み手は、自由自在、奔放に解

釈してかかるから、その意図は通じないということになる。



「あの夫婦」「瀬戸内海」「南西諸島」…、これらはいったい何を示すのか。



「木の葉より軽い」とは、具体的に、なにを思って表現しているのか。



そういったことを書いていただくと、書き手の人となりが理解でき、ヒネた解釈をす

る必要もなくなるのだが…。
2006.03.14 / Top↑
午前9時。

廃棄物を積載した青いトラックが西二宮地区の久右衛門坂をエンジン音をうな

らせながら上ってきて右折、二宮幹線14号に入ってきた。

そこから狭い砂利道に進入しようとしたが、ブレーキランプが点灯し、いった

ん、停止。

そこには、次のような立て看板があるのだ。



地滑り発生現場

一枚目の看板には「地滑り発生現場」と書かれている。

平成10年の『8・4水害』で道路が無惨に崩れた現場である。

















私有地アリ

そこから10メートルほど進むと、右手の杉の木に

結わえられた二枚目の看板。

「路面の赤い測点より右側は私有地です 地権者」

と書かれているのだ。

そして、その先の砂利道には公道の中に存在する

私有地との境界線に麻のロープが張られている。

廃棄物を積んだトラックはその看板を前に3分ほ

ど停止して、Uターンする場所もないために50メー

トルほど後退して久右衛門坂を下り、姿を消した。





昨日、地権者と、その地権者を支援する人々によって看板立てと、境界線にロー

プを張る作業が行なわれたのだ。

すでに地権者は佐渡市に対して「私有地と公道との区別を明確にして使用してい

ただきたい」との文書を提出している。

西二宮地区としても、2月3日に高野市長あてに『申入書』を提出して、次のよ

うに見解を求めている。

「二宮幹線14号の現道には、私有地が一部存在することが判明しております。

新潟県の見解では私有地がある場合には所有者の承諾を得なければならない、と

しています。その承諾を得る前に佐渡市は『事業者に対しては主に西二宮地区の

現道を利用するよう指導する』との方針を示していますが、これは地権者個人の

権利を蹂躙した行為と言わざるを得ません。仮に地権者の承諾が得られない場合、

佐渡市はどのような方策をお持ちなのか、お尋ねします。方針の撤回をふくめ、

佐渡市の具体的な見解を求めます。」

これらに対しての佐渡市の対応は、無視である。

西二宮にはいまだに回答もなければ、地権者にもなにひとつ言葉もない。

これではまるで地権者と事業者が争いになることを望んでいるかのような対応で

ある。

実際、先週の一週間、事業者は西二宮ルートを使用し、私有地を踏み荒らして廃

棄物を次から次と搬入した。

融雪のために地盤の緩んでいる道路の土側溝は、廃棄物を積んだトラックの重み

で崩れ、排水の用をたさない。

そうした事態に地権者と、その支援者がやむをえず立ち上がったのだ。

なぜ佐渡市は、そこまでさせるのか。

このままだと廃棄物の搬入は真光寺ルートや山田ルートを使用することが予想さ

れ、両集落は西二宮と地権者へのいら立ちをつのらせるに違いない。

行政が、集落間のもめ事の火種をせっせと作りだしているようにしか思えないの

だ。



ボタンをかけ違ったままにして、対処療法で解決をはかろうとするから新たな問

題が湧き出てくるように次から次と出てくる。

このままでは“住民vs住民”、“住民vs事業者”という不幸な構図を行政がつく

り出したという汚名だけが佐渡の歴史に刻まれるだけである。

しかも住民、事業者の双方が共に被害者となるという妙な構図になるのは、行政

があまりにも無責任な対応を続けている結果だと断じてもいいのではあるまいか。
2006.03.06 / Top↑

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