上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
すっかりテレビに慣らされてしまったようである。

年齢のせいかもしれないけれど、あまりモノごとに驚きも感動もなくなってきた。

何しろテレビには、絶景、奇妙、驚異、不思議、怪奇、ロマンがあふれている。

感動の大安売りだから、かえってありがたみがない。

映し出される大自然だの、秘境だの、世界遺産などを眺めているうちに、いかにも自分の

足で自分の眼で見てきたかのような気分になってきた。

テレビの衝撃映像を繰り返しながめているうちにどこかが麻痺してしまったのだろう。

「ふ~ん、それでどうした? もったいぶらないで、早く見せろ」てなことをテレビに向

かって喋っている。

間抜けな話だが、テレビに感動を求めること自体、どうかしているのだと、つい最近、あ

らためて認識した。



そのきっかけは、ジャズのライブだった。

これが、とてもよかったのである。

何が? と質問されると、困る。

わたしは、ジャズについてよくわかっていないからだ。

だから、言葉に置き換えて説明するほどの知識もない。

それでも、書きたくなるほどの感動を得たのだ。

それはドラムとアルトサックスの奏者、たったふたりだけのライブだった。

なのに、音が複雑で演奏者が大勢いるような錯覚を生じさせるほどだった。

ドラムは、海だった。

ひっきりなしに動いている海のようだった。

凪のような静けさから、さざ波がおきてきたぞ、と思ったら、突然、嵐のような激しい大

きな波が押し寄せてくる。

静から動へ。動から安寧へ。安寧から険しさへ。

波が砂浜に寄せるように一定のリズムを感じて安穏としていると、奏者はすぐにその一定

を破りにかかってくる。

この世の中に安定したものなど、ないんだよ、と言っているように聞こえてくる。

そして、アルトサックスは、その海の上を飛んでいる鳥のようだった。

優雅に飛んでいる姿を思い描いていたら、突如として急上昇して天空の高みへと向かって

いく。

有酸素限界まで上昇し、次には獲物を狙って急降下してくるようだった。

穏やかで伸びやかな飛翔、そして激しい乱高下…。

これは、地球のドラマだなと思い、ドキドキしながら聴いていた。

充実のライブだった。

このふたりのジャズマンについては、わたしが紹介するよりも、こちらのサイトが詳しいので、そちらにゆずりたい。



このライブが終わった後、民宿の大広間での打ち上げの会に参加した。

林英一さん、小山彰太さんを前にして島内で活躍している若いジャズマンは魂を抜き取ら

れ、生きる屍のようになっていたのが印象的だった。

「サックスは捨てます」

「ドラムは今日でやめます」

いずれも、冗談とも本気ともとれる言い方をしていたけれど、それほど衝撃的な感動ライ

ブだった。

しかし、林英一、小山彰太の巨人は、演奏しているときも、酒宴の席でも同じようにまる

でリキミみがない。

ニコニコ、ニヤニヤしながら、焼酎とビールを飲んでいる。

そこに、ややっこしい質問が出た。

「ジャズって何でしょう?」

と、簡単であるけれど、哲学的な質問に対して、林英一さんは、こう答える。

「いまだに、わからないんだな」

それを受けて、小山彰太さんが、

「オレは、わかったよ」と言ったから、一堂、耳を立てる。

「わからないということが、わかった」

真正面からいけば、かわすのである。

いかにもイタズラ好きなジャズマンで、酒席もライブにしてしまうのである。

「今日は、おふたりをお連れして金北山に行ってきました。ソフトクリームを食べている

写真がありますけど、ジャズマンにはぜんぜん似合わないですね。これはお宝写真です。

題して、イン・金北山です。ブログにアップしますから」

と主催者が言う。

「おい、へんなところで間をいれるなよ。イン金・北山になったら、やばいよ」

誰かが、声を出して言う。

「インキン・ポクサン」

こうして笑いに包まれていった。



そして、気がついたら、朝だった。

浴びるほどの酒をいただいたようである。

感動の1日は、アッという間に過ぎてしまったけれど、あの音の迫力がいまだに耳に残っ

ている。
スポンサーサイト
2006.06.30 / Top↑
思う通りに奇跡というものが起きてくれたら人生はどんなに楽しいことだろう。

奇跡どころか、ブラジルに大惨敗である。

現実ってのは厳しいものだと、現実に生きている者たちに身をもって教えてく

れなくたっていいじゃないか、と叫びたい気分である。

             ※

試合開始が、午前4時。

奇楽庵が、「3時半には行きますから」とメールしてきたので、

「お、奇跡が起きたか?」と、鯛を釣り上げたのかと思って返信したら、

「4時から飲めるか~!(笑) 負けっぷりを見届けるだけっすよ」

と返ってきた。

真鯛はダメだったようである。

これが、現実なんである。

万が一にも、3キロぐらいの真鯛が釣れるかも知れないと思っていたが、やは

り、現実は厳しいのである。

この時点でジーコ・ジャパンに暗く重たい雲がうっすらとたれこめていたよう

である。

             ※

3時50分に目覚ましをセット、11時に寝た。

すると、どうだろう、午前1時半に携帯がコールする。

見ると、遠く網走に住む酒飲み仲間のYさんが電話をかけてきている。

「どうせ、酔っぱらっているんだろ」と無視していたら、切れた。

ホッとして眠りに入ろうと思ったら、今度は家の電話がコールする。

これは無視するわけにはいかない。

Yさんではなく、他からの緊急の電話だったら、と判断し、受話器を耳にあて

たら、

「なにしてんのよ、起きれ」

と、やっぱり酒を飲んでいるYさんの声である。

「起きれって、あんた、いまごろ、なによ」

「なんもだ、べつになんもない」

といって、ご機嫌の酔っ払いと深夜、世間話をするハメにおちいった。

「俺もさ、2月に孫が生まれたさ…。だからどうしたって話だけどよ…。お前

さ、鯛食ってんの? いいな。俺もさ、お前のブログ読んでるんだぞ。よし、

待ってれ、いま、マスターに代わるから」

マスターとは高校時代から世話になっているバーの店主だけれども、話がなん

だかよくわからないうちにマスターがでる。

「網走に来ないのかい」

「行きたいんだけどね…」

「いつでも大丈夫だよ、俺の息子がさ、刑務官になったから」

「刑務官って、刑務所で囚人を監視している人かい?」

「そうさ、だからいつ来ても大丈夫だ。心配ないから」

こちらも酔っているようである。

「じゃ、Yに代わるわ」

といったところで、わたしは話が長くなる恐れを抱き、電話をブチッと切った。

再び明かりを消して、ブラジル戦にそなえる。

             ※

しばらくして、また目が覚めた。

今度は、猫が騒々しく動き回っている。

なにか異変でもあったのかと明かりを灯すと、2時半である。

モン・チェという名の若い猫が、獲物を追っているのが見えた。

眼を凝視して、ギョッとした。

大きなムカデだった。

一瞬にして目が覚め、火バサミを取りに起き上がる。

ムカデをはさんで捕獲し、外へ捨てた。

「モン・チェ、ありがとう」

といって床に入るが、眠れるわけがない。

体調万全でブラジル戦を見ようと思ったけれど、睡眠不足のまま突入の気配。

             ※

試合開始前にコーヒーをたんまりとポットにいれる。

奇楽庵、眠りこけているのか、姿なし。

日本、先制点をあげる。

すかさず、奇楽庵にメールを打つ。

「寝てる場合でないぞ。ニッポン、ゴ~~~~ル!」

と送ったが、返事はない。

前半ロスタイム、このまま前半が終わってくれればいけるかも…、と奇跡を期

待していたら、現実がムクムクと立ちあがってきた。

なんと不調のロナウドがドンピシャのヘッディングで同点。

その直後だった。

「負けっぷり」を見るために寝ぼけ眼の奇楽庵がやってきたのだった。

暗雲が、本格的にたれこめてきた…。

             ※

試合終了直後、ジーコのインタビューを、すっかり目の覚めた奇楽庵が同時通

訳してくれた。

「日本がブラジルに勝つなんて、100年早いって言ってますよ」

「そうか、そうだよな…」

意訳であろと、誤訳であろうと、正す気もない。

だいいち二人ともポルトガル語はおろか、英語も、ドイツ語もチンプンカンプ

ンで外国人に声をかけられれば、逃げ出すか、相手が日本語がわからないと踏

んだら、「バカ野郎、日本語を話せ。ここをどこだと思ってるんだ!」とニコ

ニコしながら怒るクチである。

だいたいインタビューの内容なんか、われわれ、ド素人にはどうでもいいこと

である。

             ※

そうはいっても、やはり反省会は、欠かせない。

「どうします? これからのワールドカップは」

「チェ・ジウを応援せんとならんべ」

「韓国応援しますか」

「キムチと、韓国焼酎だな」

こうして日本酒2合とワイン2本半が、空いた。

奇楽庵は足を確保して仕事に向かったが、仕事にならないだろうなと同情しな

がら、深い眠りにおちた。
2006.06.25 / Top↑
あうんの呼吸という言葉がある。

漢字では「阿吽の呼吸」と書き、あまりなじみがない。

もともと「阿吽」は仏教用語だけれど、日常に使う場合は「2人以上でひとつ

のことをするときに気持ちの一致する、微妙なタイミング」(辞林21)となる。

大事な一戦であるクロアチア戦で日本チームには、この「阿吽の呼吸」が見ら

れなかった。

シュートのタイミングなのにパスを出し、ボールが選手の背後に転がったりと

呼吸がまったく合っていなかった。

やはり歯車のどこかが狂っていたのだろう。



そのかわりといってはなんだが、こちら、筋金入りサポーターの側は微妙なタ

イミングの一致をみた。

前回6月13日のブログに『気持ちの切り替えは、お神酒と鯛だ!』と書いた。

書いただけである。

打ち合わせなどしていない。

奇楽庵はクロアチア戦にそなえて暗闇で黙々と釣り竿を振り回して真鯛を狙っ

ていたようである。

真鯛はなかったけれど、夜の10時にスズキの60数センチを揚げた。

なかなかの集中力であり、「こやつ、できるな、暗闇ザムライめ」と呼びたい

ところである。

わたしは、いまが旬の真鯛の塩焼きを用意した。

7匹の真鯛が200円である。

イワシよりも安い。

大きさ?

そんなことは気にしてはならない。

腐っても、小さくても、鯛は鯛である。

その結果がコレ(6月19日付け)で、まさに「阿吽の呼吸」というやつである。



ところで、“筋金入りのにわかサポーター”は、テレビの解説者が言うような

専門知識を仕入れても、絶対に口に出してはならない。

これは暗黙の了解事項として決まっている。

素人が専門家ぶるほど格好悪い行為はないと、ひそかにだけれども確信してい

るからだ。

したがってサッカーそのものよりも、周辺を楽しむことが筋金入りのにわかサ

ポーターの条件なのである。

その呼吸がわかれば、ツーといえばカーと答えるごとき阿と吽の関係になれ、

お神酒と鯛とスズキとサッカーを肴に楽しいひとときを過ごすことができる。

しかし、筋金入りのにわかサポーターもあなどれない。

試合開始のホイッスルが鳴る前に悪い予兆を感じとっていたのである。



「お、ようやく日本選手入ってきたな、グイ」

「ありゃ、キャプテンの宮本、顔色悪いぞ、顔面蒼白だわ、グイ」

「サムライブルーですからね、グイ」

「顔まで青くなってどうするんだ、グイ」

「蒼白ザムライっすね、グイ」



そういうわけでゼロ対ゼロのまま試合終了。

やはり、鯛のサイズをけちったのがいけなかったか、と本気で反省した。

そして、筋金入りサポーターも次のゲームに向けて、すでに戦いは始まったの

である。

狙いは2キロから3キロあたりの真鯛。

これを釣り揚げたら、日本はブラジルに絶対に勝つ。

と思いたい。
2006.06.19 / Top↑
「気持ちを切り替えて」

この言葉、朝から何度耳にしたことか。

報道番組、ニュースを見るたびにアナウンサー、レポーター、コメンテーター、

解説者、一般素人までが口にする。

ワールドカップサッカー、日本対オーストラリア戦は、勝てる試合と誰もが踏

んでいたのだろう。

しかし、最後の数分でドンデン返しの大逆転負け。

相撲で言えば横綱ではなく、三役を狙う幕内上位力士あたりが新入幕力士に土

俵際で見事なうっちゃりで敗れたというところか。

相撲ならそんなことはよくあることで、どうってことのない話である。



ただ内容がよろしくない。

攻めに力がない。

パスに信頼感もない。

シュートだか、パスだか、のんびりしたロビングボールがゴールに入ってしま

っての1得点。

それを後生大事に守り切ろう、なんてのはサムライブルーと冠をつけるのもお

こがましい発想。

解説が相撲の「北の富士さん」なら、

「負けて当然でしょ」のひとことで斬って片づけてしまうだろう。

やはり、攻めて攻めて負ける方が、見ていて気分もよろしい。

負け方が悪いと、気持ちを切り替えることもできないものである。



昨夜、「筋金入りのサポーター」を自認する奇楽庵が試合の始まる直前にやっ

てきた。

この筋金入りとは、前記してあるけれど、ワールドカップがらみ以外のサッカー

は見ないという意味の筋金入りにわかサポーターであるから、サッカーのこと

はあまりよく知らない。

わたしも同様だから、話が合う。

ところが、奇楽庵は、前日飲みすぎたせいで元気がない。

開催国ドイツに合わせてビール持参である。

わたしはわたしで、イタリア産の安ワインをやっていた。

やはり、日本が戦う日には、お神酒でなければならない。

つまみは、旬を迎えている鯛でなければならなかった。

この時点でサムライブルーに暗雲たれこめていたのかもしれない。

したがって静かな観戦である。

ただ時々、「ウッ!」、「アッ!」、「ヤバッ!」といううめきが出るだけで

ある。

そして、試合が終わった。

面白くない気分でいると、奇楽庵が、帰り際、ひと言。

「大丈夫ですって。ブラジルに勝ちますから」

すでに気持ちの切り替えを完了していたようである。

と、思っていたら、とんでもない。

ただただ二日酔いで具合が悪く、楽観的なコメントを残して帰って眠りたかっ

ただけであることがわかった。

気持ちなんか、ぜんぜん、切り替わっていなかったのである。

その証拠が、今日(6月13日)の、コレである。

気持ちなんか、そうそう簡単に切り替わるもんでもあるまいと、あらためて実

感。

お神酒と鯛でなければ、切り替わらないと確信したのである。
2006.06.13 / Top↑
コーヒーが好きだ。

多いときでは日に10杯以上を胃袋に流し込んでいる。

なんであれ過ぎたることはよろしくないとは知っているけれど、酒や煙草も同

じで自ら制限することもせず、飲みたくなったら飲む。

だからといって「違いのわかる男」かといえば、決してそうではない。

そこらのスーパーで売っているコーヒーを、

「これがブルーマウンテンですよ」とすすめられたら、

「なるほど、さすがにブルーマウンテンはひと味違いますね」

うなづきながら飲んでしまう自分を恐れている。

そのていどである。



ただ好みというものがあって苦味のあるコーヒーがうまいと頑なに信じている。

ていねいに焼かれ、黒々と光っている深煎りのコーヒー豆を見ると、それだけ

で嬉しくなってくるのだ。

ただし気をつけなければならないのは、焦げた豆は似て非なるもので、どうに

もならない。

火力が強すぎたのだろうと思われるが、昔、次々に出てきた炭火焼きというコ

ーヒーに、この手の豆が多かったのではないか。

近ごろは、そんなことはないだろうと思うけれど、炭火焼きコーヒーと惹句の

ついたコーヒーでうまいと思ったことがなかった。



網走には素晴らしい喫茶店がある。

デリカップという小さな店だけれども、日本一のコーヒー店ではあるまいかと

ひそかに思っている。

冬の寒いときでも、真夏の暑いときでも、店主は生豆をわざわざ店の外で焙煎

する。

あたり一帯がコーヒーの香りに包まれ、フラフラと誘い込まれる仕掛けである。

網走滞在中は毎日のように、ここでコーヒーを飲んだ。

夕刻、家を出て、10分ほど歩いて店に着き、カウンター席に座る。

まずはブレンドコーヒーを淹れてもらい、時間があるときには次に焼きたての

ストレートコーヒーを注文する。

いずれもしっかりとした苦味がきいていて、甘みも感じられる。

「コーヒーは、ワインより難しい」

とは、店主の言である。

同種でも産地が違えば味が違うのは当然であるし、同じ種類、同じ産地でも、

畑の立地が違えば味も異なるというのもワインと同じである。

むろん、栽培された年度、その天候によってもデキが異なるのもワインと同じ

である。

ところが、「コーヒー豆の種は複雑でワインにおける葡萄の比ではない」とい

うのだ。

それらを見きわめた上で焙煎しなくてはならないというから気の遠くなるよう

な話である。

店主は、ときにはコーヒー豆を勉強するために産地まで飛ぶ、という。

ここの豆を購入して佐渡まで持ち帰ったことがあるが、驚いたことに飛行機の

中、船の中、そして、到着した家の中、バッグを開けるたびにコーヒーの香り

で充満した。

恐るべき焙煎技術である。

その店主が、こういうのだった。

「コーヒーは苦味だよ。これに尽きる。酸味を好むのは世界では日本だけだ。

これは日本のコーヒー業界が仕組んだもんだろうね。酸化したコーヒーを売り

続けるための方便だ」



人生には知らない方が幸せだということがある。

佐渡の米のうまさ、とくに知人が大佐渡連山の懐にある山の田で作る米のうま

さを知って、他の米ではなかなか満足できない。

それと同じようにデリカップのコーヒーが基準になってからは「うまい」と心

の底から思えるコーヒータイムがなくなってしまったような気がする。

札幌のある腕の立つ寿司職人は、他の寿司屋へ行くことはないと断言した。

寿司を食べたくなったら回転寿司へ行くというのだ。

なぜか。

他の寿司屋だと中途半端な仕事ぶりが気になって食った気になれないから、最

初から仕事ぶりを気にせずにいられる回転寿司へ行くというのだ。

これもまた寿司の技術、寿司のうまさを知ってしまった不幸である。

と、前置きして白状するけれど、ふだんわたしが飲んでいるコーヒーはスーパ

ーマーケットなどで1グラム1円見当で売られている深煎りタイプのコーヒー

である。

これだとガブガブガブガブ飲めてしまう。

大きめのマグカップでガブガブ飲みながら、こう考えている。

「ああ、苦み走ったうまいコーヒーが飲みたいなぁ」



マグカップとポット

2006.06.01 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。