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一昨日深夜、ヨコチン(佐渡横綱珍議委員会)のメンバーから次のような緊急

メールが届いた。



「珍議委員長殿 横綱審議委員会が朝青龍の『けたぐり』の一戦にケチをつけ

てますぜ。佐渡横綱珍議委員会として黙ってるわけにはいかん」



「やはり、きたか」と、さっそくニュースを検索。

想定した以上に、ひどいイチャモンがついたもんだ。

報じている毎日新聞も、なかばあきれている。

以下、毎日新聞の記事を引用してみる。



   朝青龍のけたぐり「品格にかける」…横審が小言

  

  大相撲の横綱審議委員会(横審)が27日、両国国技館であり、九州場所で

 全勝優勝した朝青龍のけたぐりについて、出席した全8委員が「やるべきでな

 い。品格にかける」と、きつい小言。

  問題の一番は8日目の稀勢の里戦。石橋義夫委員長(共立女子学園理事長)

 は「いまさら星を変える訳にもいかないが……。受けて立つ余裕を見せてほし

 かった」。内館牧子委員(脚本家)に至っては「けたぐりという言葉自体、品

 がない」と話し、果ては朝青龍が制限時間を迎えた時まわしをたたく所作に

 「横綱がみっともない」。

  これには北の湖理事長が「取組直前の所作については直せないし、あれがな

 くなったら終わり」と苦笑い。今年は19種の決まり手で幕内最多67勝を勝

 ち取った横綱にとって「奇襲」も作戦のうち。非の打ちどころのない勝利につ

 けた、精いっぱいの注文か。

                2006年11月27日(月) 19時47分 毎日新聞



こりゃ、ひどい。

この記事を書いた記者も、トメの一文で、遠慮がちの横審批難。

もともと横審は丸見えの差別的体質を持っていて外国人力士には手厳しい。

だから朝青龍の「蹴手繰り(けたぐり)」は間違いなく標的にされるだろうとは

想定していたが、8人全員が口をそろえて「品格がない」ときたもんだ。

これは、朝青龍に援護射撃をせねばならんと瞬時に判断したけれど、なんせ、な

んだかんだと忙しい月末…。



それにしてもだ。

横審メンバーの1人や2人、異論反論が出てもよさそうなもの。

「いやいや、猪のように突っ込んでいった稀勢の里の独り相撲こそ責められるべ

きであって、朝青龍は横綱として猪突猛進では相撲にならないよ、と身をもって

知らしめたのだ」

てなことを言う人間がいないのが、面白くない。



内館牧子の鼻息に、ほかの男7人衆、圧倒されているのではあるまいか。

なんせ言うに事欠いて「けたぐりという言葉自体、品がない」というんである。

「言葉に品がない」というのならば、けたぐりに代わる「品のある決まり手」を

提出していただかなければならぬ。

それも出さずの、無責任発言なら横審じゃなくたって、わがヨコチンの方が一枚

も二枚もウワテ。



だいいち「手繰る」なんて言い方は粋じゃねえか。

「蕎麦を手繰る」ってぐらいだから相撲部屋の多くある江戸下町にはぴったりだ。

まさか、蕎麦をおすすりになるなんてのが上品だと思っているわけでもあるまい。



その粋もしらねえからドロドロの人間関係を描いたドラマしか書けないんじゃな

いのかい、と筋違いのイチャモンをつけたくなる。

連ドラ・ウオッチャーのあたしから言わせてもらえば、『ひらり』だって姉と妹

でひとりの男をとりあう、てな得意技を展開。

朝から、こりゃ、まずいと、自らブレーキかけたのか、どこからか「物言い」が

ついたか知らないが、ドロドロ直前のトロトロ、テレテレ…。

主演の石田ひかり、主題歌のドリカムは、眼にも耳にも焼き付いているけれど、

肝心のドラマ、相撲がテーマなら、もっと面白く作れたんじゃないのか、と感想

を述べておく。



「蹴る」と同時に「手繰る」から「蹴手繰り」であって、この「蹴り」が内館委

員には下品に感じるのだとしたら、それならば「蹴り」を禁止にしなければなら

ない。

しかし、品があるかどうかなんてのは個人の主観であって、あたしなどは「小股

すくい」なんて耳元でささかれるだけで、股のあたりがむずかゆくなってくる。

あるいは、「三所攻め」なんてのも、ふと違うことを考えている人には、

「ったく品がねえな」てなことになる。



作家の開高健は『四畳半襖の下張り・わいせつ裁判』で参考人として証言したが、

その法廷で「ちゃんこ鍋」の語源について言及している。

内館委員も、もちろん、ご存じだろう。

その証言を聞けば、これほど品のない鍋があっていいものか、天下の公共放送で

流していいものか、と言いたいぐらいである。

 ※(ちゃんこの語源は、開高健のエッセイ『証言する』に詳しくでているので、

   興味おアリの方は、どうぞ)





それは別として相撲取りは、粋でなければならない。

男の色気ってものが、なくてはならない。

わかりやすくいえば、解説の北の富士の現役時代、そして盟友の龍虎なんてのは

粋な遊び人だったし、華やかだった。

土俵上の所作だって北の富士と長谷川の火花散るにらみ合いは、男が見ていても

カッコよかった。

いま、そんな粋で色気のある関取は少なくなったと思う。

横審が口うるさいからだ、なんて言いたかないけれど、いちいち品がないとイチ

ャモンをつけられたら優等生ぶった相撲取りばかりになって、面白くもない。



朝青龍の制限時間いっぱいになって、まわしをポンと叩く姿、男の色気があるじ

ゃねえか。

これまた主観であるから、高見盛の所作に色気、粋を感じている人もおってもよ

ろしいが…。



横審は、七月場所での白鳳の横綱昇進問題でも差別的体質をあらわにしているこ

とが、問題の底流にある。



☆一月場所 13勝2敗で準優勝(関脇)

☆三月場所 13勝2敗で優勝同点(関脇)

☆五月場所 14勝1敗で優勝(大関)

☆七月場所 13勝2敗で準優勝(大関)



このずば抜けた成績にもかかわらず、見送り。

北の海理事長が諮問しなかったから、なんて言い訳はいらぬ。

なぜ、諮問しないのか、と理事長に詰め寄ってもいい成績。



朝青龍にイチャモンつけるなら、ついでに九州場所の魁皇への品のない手拍子応

援にもイチャモン、そしてガラガラの空席を埋める知恵を出したらどうなんだえ。
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2006.11.29 / Top↑
横綱の「けたぐり」には、驚いた。



「横綱のくせに、姑息な!」

と、思うムキもあるだろうけれど、ちっとも腹が立たないのは、なぜだろ。

長らくひとり横綱を張って相撲界を支えてきたきた怪物、朝青龍に人間くささ

を感じて安心できたからだろうか。



「武士」(もののふ)目指した貴乃花も「けたぐり」をやるぐらいの弱さを見

せてくれれば、もっと大きな横綱になったのではないかとも思う。



一方、弱さ、脆さを露呈し、人間くさすぎる魁皇に対する応援。

これは、感心しない。

気をそろえての手拍子は、観ていて腹が立ってくる。

相撲は相手があっての相撲で、あの応援ぶりは相手力士にたいへん失礼ではな

いか。

まるでサッカー、ボクシングのアウエーのようなもので、そのうちプロ野球の

応援団のように贔屓力士ごとに席を陣取られ、応援合戦が繰り広げられる。

なんてことにはならないと思うけれども、あの異様な空気のなかでの「けたぐ

り」だから、腹が立たないのだろうか。



それにしても、あのスカスカした空席の多さは、なんだろ。

本当に景気は回復しているんだろうか。
2006.11.21 / Top↑
先週木曜の夜11時、農民音楽家が恐ろしいモノを手にやってきた。

2・7リットルのペットボトルに入ったウイスキーである。

こんな巨大なのは初めてで、見ただけで圧倒された。

ふつうのウイスキーボトルは700ミリリットルだというから、4本弱の量になる。

すでに1本分くらいは空いていたけれど、それでも3本分くらいはある。



「モルトウイスキーが好きだとブログに書いてるから、持ってきました。ガハハハ」

と、じつに豪快である。



彼は米も柿の収穫も終わり、音楽活動に入った。

CD制作も佳境で、5日後には制作会社に音源を納付しなければならぬという。

この日は、わが家にあるごくふつうのCDデッキ、ふつうのアンプ、ふつうのスピーカ

ーを通して音を確かめるのが目的であるから、ウイスキーは付録みたいなものである。

新曲に耳を傾け、質問したり、意見を述べながら、チビチビやる。

そのつもりだった。



ところが、朝、目が覚めてみたら、記憶がない。

メモが残っていたので、何を話し、今後何をしなければならないかということについて

は記憶がよみがえってきたが、あとは模糊として判然としない。

はっきりしているのは、チビリチビリやっていたはずのウイスキーが残り1本分ほどに

なっていたことだけである。



2日後の土曜日、農民音楽家とわたしにとって主治医といってもいい人物のお宅で『今

後の佐渡について』を議題にした会合が開かれた。

付録として農民音楽家の釣ったスズキの造りをつつきながら真稜の純米吟醸酒『至』を、

チビチビやりましょうということであった。



その主治医宅へは農民音楽家の運転する車で向かったが、その道中、

「佐渡にも池袋の大勝軒ラーメンができましたね」

という話題になった。

「麺が300gあるんですよ」と農民音楽家は言う。

「そんなにあるんだ。東京で食べたときに多いなとは思っていたけど、300gとは知らな

かった。あれ、知らない人が大盛りを頼んで現物が目の前に来たときに、ビックリする

顔を見るのも楽しみなんだな」

「大盛りは麺が600gだからね」

「食べたの?」

「ふつう盛りのチャーシュー麺を食べたら、ふつうより2枚チャーシューが多いだけで

300円プラス。つまり、チャーシュー1枚150円なり」

「おや、それはいい値段だな」

「そのかわり、チャーシューが分厚くて、でかいんですよ」

「味は?」

「煮干しがきいていて、スープは美味しかったなぁ」

というような話をしながら主治医宅に向かったのである。



主治医宅ではさまざまな問題点を取り上げながら午前2時半まで話し合った。

2升半ほどの酒が5人の胃袋におさまり、翌朝は二日酔いになることもなく、快調に帰

宅の途についた。



家に帰ってから家人に、「東京でよく食べた大勝軒ってラーメン屋があったろ。あれ、

佐渡にもできたんだってさ」と、報告したら、

「うん、知ってるよ」

と、あまりにもあっさり言われて、拍子抜けした。

「なんで知ってるんだ?」

と、憮然としながら聞いたら、

「金曜の朝、Fさん(農民音楽家)と話していたじゃないの!」

「うそ?」

「麺が300gなんでしょ。チャーシューが1枚150円なんでしょ」

「…」

主治医宅への道中、二人で新鮮な気持ちで会話したのは二度目だったのかと思い、愕然

としたまま、うなだれるしかなかった。



金曜の昼間、ある方からていねいな手紙をいただいていた。

その中の一節である。

「ブログを拝見、大層お酒がお好きな様ですが、健康には充分気をつけて下さいね」

タイミングのよい言葉というのは、ジワリと心にしみてくるものである。
2006.11.13 / Top↑


人の言うことを聞かない、という人がいる。

すべて自己流を通そうとする。



蕎麦打ち名人のMさんが、このタイプである。

自分で体験したこと以外は、信じない。



だから失敗も多い。



失敗したときは、またいちからやりなおす。

やりなおして、どうしてもうまくいかない時だけ、その道のプロに教えをこう。



トビウオの焼き干しを作るときも、そうだった。

自分で大量のトビウオを仕入れて、さばき、囲炉裏で焼き干しにしてみたが、

納得のモノができない。

そこで高級料亭から予約注文が殺到しているという小木の焼き干し作りの大ベ

テランに話を聞く。

そして、その場で実際に焼き干し作りに挑戦し、自分との違いを体で覚えてき

た。

そうやって彼は自分流の蕎麦を作り上げてきたのだ。



一昨日、開かれた『新蕎麦を喰う会』は、大人13名と幼児2名が集結した。

集結と書いたのは佐渡でも秘境と言われる猿八の山の中の民家で行ったからだ。

たかが蕎麦である。

その蕎麦を喰うために、こんな山の中に集まるのだから感謝感激である。



蕎麦は、近年にないほどのよいデキである。



1997年以来、わたしはMさんの蕎麦を食べ続けているが、今年の蕎麦ほどすご

いのを知らない。

香りが高いし、なにより驚いたのは、毅然とした甘みがある。



もちろん、Mさんの手さばきは冴えに冴えていた。

もっとも難しい水回しの段階で、これはいいぞ、と気が入った後は、アッとい

う間だった。



こね、練り、のし、打つ、切る。

熱と乾燥に弱い蕎麦は、この素早い動作こそが、旨みを引きだす最大のポイン

トである。



しかも、のし終わった時の状態は、真ん丸の円になっていた。



その真ん丸の蕎麦に息をふきかけると、ふわりふわりと浮いてさざ波が起きた。

それほど薄くのされていた。



一杯目は太めに打ってもらったので、次は細い蕎麦を注文したのである。

よほどの熟練でなければ細い「十割蕎麦」は、難しい。

それを難なくこなしてくれたのだ。



ふわりふわりと浮き上がるのを見せつけたMさんは得意満面であった。



1杯目を食べ終わった後、猿八に住むひとりの男、Tさんが消えた。



しばらくして戻ってきた。

手に自然薯をぶら下げている。

掘ってきたのである。

今年、自然薯を掘るための道具を買ったばかりだという。



それをすり鉢でのばしていく。

やはり猿八在住のNさんが山椒の木でつくられた「すりこ木」を手にした。

堂に入ったもので、抑えの手がぶれない。



自然薯はかたく、しまっているために、どれだけすりをやって持ち上げても落ち

てこないほどの粘り強さである。



そこに少しずつ蕎麦つゆを入れる。

入れてはのばし、のばしては入れる。



それをくりかえしていくうちに、ふわふわとなってきた。

食べごろである。



これを冷やかけの蕎麦の上にのせて食べてみる。



甘みが一層増した。

そして、ひとすすり、ふたすすりするうちに満足感が広がり、最後のひとすす

りの頃は充足感とともに満腹感が襲ってきた。



この「自然薯のとろろそば」は、忘れられない味となった。



これぞ、山の中で蕎麦会を開く醍醐味というものである。



Tさんに感謝。







さて、蕎麦を堪能した後は、囲炉裏を囲んでの飲み会に突入した。



和歌山の銘酒『黒牛』のワンカップを30個用意した。



料理は、各自一品持ち寄ることになっているから、つまみも潤沢である。





夕刻過ぎになると、家族連れや、車を運転してきた人たちは帰宅の途についた



が、送迎付きの飲み助は、そこからが本番である。





抱腹絶倒とは、このことであろう、というほどの笑いに包まれ、腹痛と呼吸困

難に何度も襲われた。



そのひとつだけ紹介しておこう。



ある人物が、バイアグラと同じ効果のある錠剤を持ってきた。

試供品だという。

いたす30分前に服用するとよろしい、などと詳しく説明してくれる。



さて、冒頭の前置きで「人の言うことを聞かない、という人がいる」と書いた。

じつは、ここから書くことの枕として、おいた話なのである。



錠剤についての説明をしているあいだに、Mさんがその錠剤をごくりと飲み込

んでしまったのだ。



それからが、たいへんである。



時計を見ながらMさんの下半身を全員で観察しつつ、それをアシストするため

に、それぞれが艶話をすることになった。

艶話というよりも、ほとんどは艶笑譚になって、腹を抱えることになるのだが…。





「どうだ?」



「ちっともきかんちゃ」



と、言いながら、Mさんも珍しく艶っぽい話を延々とするのである。





「Mがこんな話をするなんておかしい、これ、きいとるのと違うか」



と、Nさんが、目を近づけ、じっと観察する。



近づけるだけではわからんとばかり、手で確かめる。



「やめろ、やめっちゃ」



「いいじゃないか、このあいだ、Mがインキンになったとき、おれが薬をぬっ

てやったじゃないか」



「それは30年以上も前の話だろ」



結局、真相は謎のままだが、Mさんの目は異様な輝きを見せていたことだけは

確かであった。



こうして30個のワンカップと一升の酒、ビールが5本ほど空いて、夜11時前に

お開きになった。



腹の皮がよじれるほどの笑いに襲われ、これほど苦しい蕎麦会はなかった…。



次の蕎麦会は、下界で開催する予定だと、昨日Mさんから電話があったが、

「春のおめでたい兆し」について質問するのをうっかり忘れてしまった。



その効果について興味関心のある方、次回ぜひ参加して直接、問うてみてはい

かがだろう。
2006.11.07 / Top↑
新蕎麦の季節である。

この時期に限らず蕎麦は、やはり「十割蕎麦」でいきたい。

ツルツル感がなくてのど越しが悪い、とか、ボソボソとしていて美味しくない

なんて言う人もあるが、それは旨い「十割蕎麦」を喰ったことがないだけであ

る。

「二八蕎麦」と変わらないツルツル感、細く切ってあっても、しっかりとコシ

のある「十割蕎麦」を一度でも喰ってしまったら「二八蕎麦」というものが、

まがいものであるような気がしてくる。



「二割の小麦粉」は、蕎麦がボソボソとちぎれてしまわないように「つなぎ」

のために入れるものである。

これは蕎麦の管理が困難だった江戸時代に編み出された職人の知恵であって、

冷蔵保管の技術が発達した現代であっても「二八蕎麦」がうまいと言うのは職

人の手を抜いた仕事を認めてしまうようでどうも納得できない。



佐渡には「名人」と言いたくなる蕎麦打ちがいる。

しかし、彼はプロではない。

農業を営み、親類の会社の仕事もこなしつつ、

「注文があれば蕎麦を打ちますよ」というからセミプロというところか。

出張蕎麦もやるけれど、自分の趣味でこしらえた「隠れ家」風の家屋で囲炉裏

をかこみながら、蕎麦を喰わせてくれる。



趣味と言ってしまうと、怒られるかも知れない。

しかし、ここはあえて趣味と断言したいのは、実益を求めていたら、こんなア

ホなことはしていないだろう、と思うようなことまで手をつけているからだ。



彼が蕎麦打ちをやろうとしたのは、10代の頃である。

高名な民族学者である宮本常一さんが、彼ら若い人を集めて、

「佐渡に残る若いもんが頑張らんで、どうするんだ。なんでもいい、佐渡に伝

わっていることに挑戦し、とことんやり続けることだ。そうすれば佐渡には自

然に人が集まってくる」

というようなことを言われた。

彼は、それを聴いて、「蕎麦をやろう」と決めたのだ。

そして彼は、30数年過ぎたいまも純粋に、宮本常一さんの言葉を信じているのだ。

単純という言葉も明滅するけれど、その言葉を後生大事にしようと決心し、50歳

をこえたいまも同じことを言い続けている。

「若いもんが頑張らないで、どうする?」



彼は一時期、「出汁」の研究に没頭した。

彼のこだわりは佐渡で獲れる魚介で「出汁」をとりたいということだった。

佐渡の蕎麦は、昔からトビウオを焼いて干したもので出汁をとり、冷やかけで

たぐるのが、佐渡流であり、それが最大の特徴である。

いわば「アゴダシ」というぜいたくなつゆである。

彼は、それに満足せず、佐渡で水揚げされる魚という魚を焼き干しにして、出

汁をとってみた。

そのうち歯がゆくなったのか、自ら漁業権を取得して海に出て雑多な魚介を水

揚げしては、片っ端から出汁をとっていく。

海のものをすべて試してみたところで彼は川魚に関心を寄せた。

渓流釣りの道具一式をそろえ、佐渡中の河川に挑戦した。

アユ、イワナ、ヤマメなどを釣っては焼き干しにしていく。

宮本常一さんの「とことんやれ」である。

こうなると畏敬の念をこめて「蕎麦馬鹿」という称号を与えたくなる。



「で、その川魚はどうだった?」と聞いてみたことがある。

「ある水産関係者の大御所にきてもらって恐る恐る試食してもらったことがあ

るけど、ダメだな。なんだ、これ、といきなり怒られたっちゃ。これだけ海の

幸に恵まれてるんだから、川の魚をつかわんでもええっちゃ、と怒られた。川

の魚は独特の臭みがあって、どうも出汁には合わないな」



そこで行き着いたのが、トビウオとカマスの焼き干し、それに佐渡の干し椎茸

である。

佐渡産の干し椎茸は絶品である。

大分の「どんこ」に劣らぬほどの香りを放っているが、そのことはあまり知ら

れていないし、佐渡の人にその自覚がないというのが、これまた佐渡のおおら

かさである。

そして、残念ながら佐渡では獲れないために昆布だけは北海道産を使用して、

出汁をとるのである。

囲炉裏で自らの手で炭焼きしたトビウオとカマスの焼き干し、そして椎茸、昆

布.で出汁をとった「つゆ」は、コクが出過ぎているのではないかと心配になる

けれど、あっさりと仕上がっているのが、これまた妙技というものである。

このあっさりとした「つゆ」と「十割」なのに細目に切ってもちぎれない蕎麦

が絶妙に調和して、何杯でも喰えてしまう。



その名人から電話が来た。

「新蕎麦を喰わんか。今年はいいぞ」

と、張りのある声で言うのである。

もちろん、彼は蕎麦畑も管理しているから蕎麦のデキ具合までしっかりと把握

しているのだ。

じつは、この電話の主は「恐怖のM電」のMさんである。

ところが、この日の電話は、ひとつのグチもなく、わずか3分ほどで切れた。

こういうときは気が充実しているのである。

おそらく蕎麦のデキのよさに満足し、早くうまい蕎麦を喰わせたいとの並々なら

ぬ意欲の表れであろう。



そこで、急きょ、「新蕎麦を喰う会」を開くことになった。

やはり、新蕎麦だから水にもこだわる。

ある山の中の民家を借りて、やることにした。

湧き水で新蕎麦を打とうというのである。



そこで、宮本常一さんの言葉を思い出していただきたい。

「若いもんが頑張らんでどうするんだ」

Mさんは、若い人たちに蕎麦打ちの技を伝えたくてしようがない。

気が弱っている時の彼は電話で「伝えておかないと、いつ死ぬかわからん」とま

で言うのだ。



このブログを読んで「蕎麦打ちを習いたい」、あるいは「一度喰ってみたい」と

いう意欲のある若手の方がいたならば、下記アドレス宛てに連絡していただきた

い。

11月5日(日)に開催する『蕎麦会の案内メール』を送ります。

ただし、3キロの蕎麦しか用意していないため、人数に限りがあることを、ご了

承を。



noumitaran@neptune.livedoor.com
2006.11.02 / Top↑

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