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今日は、農民音楽家であるフジイタカユキの新作CDが発売されるめでたい日である。



タイトルは『すいへいせんからのぼるつき』だ。



なぜ平仮名なのかはわからないが、いいタイトルである。

太陽ではなく、月であるところが、いい。

太陽は眩しすぎるけれど、月ならば飽くことなくいつまでも見つめることができる。

太陽のように出しゃばらないところもいい。

月の満ち欠けと共に生きてきた日本人には懐かしい響きであるところもいい。



わたしは1998年に発表されたファーストアルバム『だらりの郷』(全10曲)を聴いて、そ

の豊かな才能に驚いた。

詩情を刺激してくる旋律と、イメージを喚起する詞(ことば)の織りなす“フジイタカユ

キの世界”が濃密におしげもなく収められていて、ただの農民のはずなのに、まるで一流

の音楽家、一流の表現者にしか持ちえない自分の音楽をすでに確立していたのだ。



そして、彼の奏でるギターには、色気がある。

これが音色というものなのか、とあらためて思うほどである。

もちろん、伸びやかに歌い上げる彼のボーカルにも色があって、聴く者の皮膚をあわだて

させ、心を刺激してくる。



だから、今回の10年ぶりの新曲発表を、ひとりのファンとして強く待望していた。

ファンというのは、ある意味で盲目的である。

盲目的だから、アバタもエクボに見えてしまう欠陥をもつ。

その欠陥男に、彼は「CDの解説文を書け」と無茶なことを言ってきたのだ。

これには頭を抱えた。

客観的な文章を書く自信がなかったのだ。

だいいちわたしは音楽に関しては門外漢である。

およそ2ヶ月かかった。



タイトルは『芸農人』とした。

この言葉はフジイタカユキの最大の支援者であり、理解者である人物が編み出した。

この言葉を耳にして文章に確信と勢いを得て、一気に片がついた。



まずは、できるだけ多くの人にフジイタカユキの音楽世界を知っていただきたいと、素直

に思う。



しかし、どうやって多くの人に知ってもらうか?

商業主義的な音楽から一線を画しながら、ネット上で勝負したいと、後援者である人々は

考えている。

それが、AIR BOXである。

これは、なにもフジイタカユキだけを応援するというものではない。

無名だけれども、すぐれた表現者たちをバックアップしていこうという企みである。

ぜひ、参加していただきたい。
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2007.02.28 / Top↑
女は子供を産む機械であり、装置である、とすれば、男は、なんだろ? と考えている。

男は人間扱いされているか?

そんなことはない。

戦争が起きれば兵士という兵器になり、平和時でも経済戦争の企業戦士という歯車の1個

にすぎない。

特攻、人間魚雷で男を玉砕と称して死地に追い込み、減った人口を増やすために、女には

産めよ、増やせよ、一億火の玉…、なんてことを9人兄弟姉妹の父、さらには6人兄弟姉

妹の母の世代では「健全な姿」とされたらしい。



「貧乏人は麦を食え」といったのは、柳沢厚生労働大臣の大先輩で大蔵官僚から政治家に

なり、総理大臣になった池田勇人。

フランス革命で「パンをよこせ」と叫ぶ民衆に、かのマリー・アントワネットは、ウソか

マコトか「パンがなければ御菓子を食べればいいのに」と言ったとされる。



いつの時代でも権力者にとって国民は民草であり、男であろうと女であろうと「モノ」に

すぎない。

だから政治屋の言う「人権だ、民主主義だ」なんて耳ざわりのよい幻想を信じていると、

とんでもないことになる。



近代国家とは「効率化」という意味である。

無駄なもの、弱いもの、金にならないもの、すべては、邪魔モノである。

2人以上子供を産まないのは不健全だという柳沢は、効率の悪い機械は邪魔モノに見えて

しようがないのだろう。

なにしろ小泉は、地方、弱者を切り捨てるように邪魔モノ排除を躊躇なく、露骨にやって

のけた。

強いモノはより強くなれる社会。

安倍は、その仕上げを「美しい国」という抽象的な言葉を使ってやろうとしているけれど、

人間の浅はかな知恵で無駄を排した社会など、美しいはずがない。
2007.02.08 / Top↑

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