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当ブログのプロフィールが消えた。

設定を何度試みても出てきてくれないのだ。



パソコンといってもわたしはワープロ機能とインターネット、メール、そしてブログ以外にさわらない。

ほとんど無知である。

いろいろいじってみても、なぜ消えたのか、なぜフリーズしたのか、逆になぜ復旧したのか、原因がわからないまま使用している。

だからプロフィールが忽然と消えた今回も頭の中に「?」が点滅している状態なのだ。

そのうちひょっこりと出てくるのだろうか、なんてボンヤリと考えている。



しかし、プロフィールがないのはまずい。

二宮地区における産廃問題の当事者や役職にある人々を実名で書いてきたから書き手の自分も名を明かしておかなければ公平ではないと判断して公開してきた。

やはり匿名で書く場合と、実名を出して書くのでは内容に大きく影響すると考えているからだ。



もちろん、匿名にも利点がある。

だいいちに本音をさらけ出すことができる。

自分よりも強い者に対して日ごろの不満不平をぶつけてストレスを解消することもできる。

なにより権力に対して身の安全をはかりながら言論をもって闘える。

とくに相手が生殺与奪の権をもつ場合には匿名は有効である。

それによって社会が少しでもよくなればいい。



ところが、この匿名性が当たり前の世の中になってくると、相手が強者であれ弱者であれ、みさかいなく攻撃的な文章を書く輩が増える。

ネットの掲示板やブログのコメント欄がイジメの温床と言われる所以である。

匿名はあくまでも相手が社会的地位のある強い立場の人間、あるいは組織に向かって書いて欲しいものだ。





昨年暮れ、わたしは、ある人から「手紙を読んで欲しい」と頼まれた。

A4用紙で2枚、ワープロで書かれた文章を一読。

「これは脅迫だな」と思った。

差出人は、ありがちな名前が記されているけれど、住所はない。

消印は両津局。



その「ある人」は、国家権力と闘っている真っ最中の人物である。

突如として日本国籍を剥奪された彼は、その復活を希望しているが、日本の役所は門前払い同然の扱いである。



彼は米国人の父と日本人の母の間に生まれた。

本来、日本では夫が外国籍の場合、日本国籍は与えられない。

ところが、なぜか、彼の出生届は受理され、日本の戸籍を得て、日本人として21歳まで暮らしてきた。

役所のミスであることは明白である。



そのミスに気がついた瞬間に役所は、戸籍を抹消、日本国籍を奪ったのだ。

国籍を奪われただけではない。

パスポートも失効した。

日本人に与えられている権利の多くを無くした。

彼は、絶対的な社会的弱者である。



そういう人間に対して偽名とすぐにわかる名前を記して脅迫文を送る手合をわたしは許すわけにはいかぬ。



書かれた文章をここで披露することはしない。

けれど、特徴をここに書いてみる。

書き手は、文章を書き慣れた人物である。

センテンスが短く、リズムがある。

文章を書き慣れていない人は、こうはいかない。

言いたいことがたくさんあって、まとめきれず、センテンスが長くなりがちになる。

しかし、その書き手は、プロではないけれど、文章センスはあるから、読書家であり、自らもしたためることの多い生活をしていると思われる。



プロではないと言いきったのは、文章に矛盾があるからだ。

パンクのような生き方を推奨しながら、服装、生き方を正せと書く。

そして、なにより差出人の素性が行間ににじみ出ている文章なのである。

たとえば、その書き手は、あるライブ会場にいたことがわかる。

日本国籍を奪われた彼の演奏と、演奏メンバーを誉めているのだ。

そのライブ会場は、30人ほどしか入れない。

とすると、そのわずか30人をしらみつぶしにしていけば、脅迫文の差出人がおおよそ判明する。

稚拙である。



さらに手紙におけるテーマ、主題がない。

なにを言いたいのか不明なのだ。

つまり、相手にはなにひとつ伝わらない。

脅迫するなら、A4用紙に2枚も書かず、一行でいい。

ダラダラと書くから、尻尾が見えてくるのだ。



ともあれ、匿名性を利用して人を痛めるつける行為、言論は厳に慎まなければならぬ。



こんなことを書いておいてなんだが、わたしのプロフィールは、どこへ行ってしまったんだろ?




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2008.03.27 / Top↑
日本銀行の総裁が不在だという。

大変な事態らしいけれど、それがどうした?

と言いたくなるほど、我々にどう影響するのか、わかっていない。



もしかしたら総理大臣が不在でも、この国はどうということはないのではないかとさえ思う。



日銀の総裁が3月に任期を迎えることは周知の事実であり、参院選惨敗後に総理大臣になったのだから国会が“ねじれ”ていることも、よくご存じのはず。

それでも任期ぎりぎりになってからのドタバタ劇。

リーダーとしての資質を問われてもしようがない。

実質、この国はリーダー不在である。



それでも日本は動く。

いいではないか。

アナーキズム万歳である。

国家なんて枠組みをもつから国益だのなんだのと理屈をつけて戦争をおっぱじめ、無辜の民を殺す。



だいたい日本人はもともとグローバリズムなんてものには向かない民族なのだ。

日本人ほど国家戦略を練るなんてことが苦手な民族もおるまい。

行き当たりバッタリが性に合っている。

ローカリズム丸出しの田舎者が分相応。



日銀総裁の任期が、この3月で切れることは、とっくにわかっていながら、

「そのうちなんとか、なるだろう」

と植木等の歌声が聞えてきそうな格好でやっていた結果、このテイタラク。

“暫定”なんてのも同じことで、とりあえずやるか、とスタートしたのはいいけれど、30年たっても“暫定”だと平然と抜かしている連中が日本を動かしているのだから、どうにもならない。



ようするに山紫水明の島国で雨の恵みが森を育てて肥沃な土地を育み、食うに困らず、寒さ暑さもほどほどにしのげるから10年後20年後を見据えての計画など馬鹿馬鹿しくてやる必要性も感じない。

計画したとしても10年で59兆円ぶちこんで道路を造るべ、てなドンブリ勘定。

無駄な道路が日本全国あちこちにあっても、なんだか、あればあったで便利かも? という程度の話で、過去はきれいさっぱり忘れてしまうのが日本人の得意わざ。

過去は水に流してしまえ、と。



過去を水に流し、将来に向かって戦略もない。

“戦略なき国家”は国家とは言わないだろうけれど、日本人は、それでもかまわない。

なにしろ「明日は明日の風が吹く」んである。



“風まかせ”の風来坊なのだからアメリカの口車に乗ってグローバリズムだなんだと世界の荒波に打って出てることもない。

とりあえず、自給率を上げれば日本人は食ってはいける。



明日は明日の風が吹く。



「風が知っているだけさ」(訳詞は忌野清志郎)

とボブ・ディランが歌ったけれど、これ、日本の国歌にしたらどうか。
2008.03.22 / Top↑
開高健が短編小説『玉、砕ける』で権力の恐ろしさについてみごとに描いたのは、1970年代のことである。

このころ、中国は悪名高い四人組が権力を握っていた時代で、文化大革命という名のもとに多くの芸術家が虐殺された。

いわば、苦難と恐怖の時期だったが、そこを開高健は巧みに描いた。



さてさて、チベットで何が起こっているのか、詳細はわからない。

わからないけれど歴史をひもとけば、おおよその見当はつく。



20年前、同様の抗議活動が行われ、その時に鎮圧の陣頭指揮に当たったのが現首席の胡錦涛である。

鎮圧といっても生半可ではなく、20万人もの人々が虐殺されたと言われている。

胡錦涛は、その功績が認められての現在の地位。



1949年から中国人民解放軍がチベットに進攻、51年にラサ進駐。

このときには120万人の犠牲者が出ているとされる。



今回の鎮圧で、どのようなことが起きているのか。

真相を知りたいけれど、北京五輪を控え、金儲け主義に入っているメディアの動きが、どうも鈍い。

テレビは中国政府が盛んに流している映像を繰り返し放映しているし、何より中国政府が使用する「暴動」という言葉も、これまた繰り返し使っている。



「暴動」とは、「群集が暴徒となって騒動を起こし、社会の安寧を乱すこと」(大辞泉)である。

しかし、そもそもチベット人からみれば中国共産党の方が「社会を乱している」のではないか。



強権国家の恐ろしさは、黒を白と平然と言ってのけるところである。

都合の悪いことは、なかったことにもできる。

文化の消滅、歴史の書き換え…。



『玉、砕ける』で描かれていることが、いまだに行われていると思うと、慄然とさせられる。
2008.03.18 / Top↑
昨年、『花の名』というタイトルでブログに書いたけれど、わたしは花を覚えられない。

そして、この時季になると「今年こそは覚えてやる」との決意を固めるのは、今年も同じである。

その決意が揺らぐのは、桜の花が散って、野山、道端、庭、そこかしこに花々が咲き乱れ、ケジメがつかなくなる頃である。

したがって、その時季さえ乗り切れば、今年は花を知る男になれる、などと算段していた。



そんな矢先である。

昨日の朝、孫娘に「あの赤い花はなに?」と聞かれた。

この時季、咲いている赤い花といえばツバキである。

そう思っていたから「ツバキだよ」と胸を張って答えた。

孫娘は、花を知っている爺に尊敬の念を抱いたに違いない。



ところが、今日、孫娘が、また同じ質問をしてきた。

「あの赤い花、な~に?」

「教えてやったろ。忘れたのかい。ツバキだよ、ツバキ」

すると、孫娘がニヤニヤしながら言うのだった。



「ブッ、ブ~。サザンカだよ、サザンカ」

「エッ」

「ツバキに似てるけど、サザンカなんだよ」

どうも家人が正したようだ。

おそらくまた余計なことを教えて、と思っているに違いなく、ひどく面白くない気分になった。

「そっか、サザンカなのか…」

と言ったまま絶句してしまったのである。



そして、あの巨大な鼻の持ち主、大川栄策の『さざんかの宿』を口ずさみながら、「花なんかどうでもいいや」という言葉が浮かんできたけれど、孫娘の手前、それをのみ込んだ。

そして決意が大きく揺らぐのをはっきりと感じたのだった。
2008.03.14 / Top↑
娘の婿殿からメールが届いた。

タイトルは、「ぶろぐみました」

そして、本文が、コレ。



「更新していないじゃないですか(@_@;) 」



まるでお叱りを受けたようにドギマギしてしまった。

なにしろ、この婿殿、ふだんはとっても無口だけれども、かなりの短気者らし

く、いったんカッと火がついたら、水をぶっかけても意味がない。

油をえたごとくますます燃え盛り、鎮火するまで誰も手を出せないのである。

ヘタに現場検証にかかって出火原因をさぐろうものなら、再び炎が上がって隣

近所まで延焼しかねないのだ。



なんてことを書くと、よほど恐ろしい男のように思われるが、“血縁ではない

長男坊”である奇楽庵は、こう看破した。



「ああいう男は筋さえ通しておけばニコニコッすよ」



その通りである。

と思うので、あたしも長い冬眠から覚醒、「筋を通す」ためにブログを更新す

ることにした。

(脅迫まがいのメールがくると怖いし…)





というわけで、久々だから書きたいことが山ほどある。

しかし、整理できていないので羅列しちゃおう。



匿名の跋扈するこのネット社会が、どうも疎ましい。

覆面調査員なんてのが出没し、佐渡の飲食店について書いている。

「佐渡を愛するがために」というけれど、一度訪れただけで他人の暮らしぶり

を崩壊させかねない文章を書き、公表していていることに本当に愛情はあるの

だろうかと、ふと疑問に思う。



ガソリン税について「暫定」というのだから、やめたらどうか。

日本の政治家が日本語をダメにしている元凶だ。

そのことの罪は大きい。



校長がかつての教え子に脅迫メールを出すなんて、教育現場の荒廃ぶり、お口、

あんぐり。

地位のある奴が犯罪を犯したら、罰則の倍づけってのはどうだ。

政治屋、役人もしかりだ。



相撲協会、ヤンチャ横綱・朝青龍のおかげで満員御礼ときたもんだ。



もっと書きたいけれど、相撲観戦の時間となってしまった。

ああ、忙しい。
2008.03.11 / Top↑

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