上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
一昨日、海水浴へ行ってきた。

美しい景観の外海府の海辺で、ゆっくり車で走ると小一時間の距離である。



と書くと、なかなか優雅なもんだなと思われるかも知れないが、一緒に行ったのは、わたしよりもおよそ30歳も年下の男で、息子の友人である。

息子は仕事があるので行けないが、その友人のKはファイアーマンで、その日は休日だったらしい。



「なにが悲しくてお前とふたりで海水浴へ行かんとならんのだ」

と、断ったのだが、

「ぼくだって、悲しいですよ。能美さんと2人で海水浴なんて」

口数の減らない男で、ああいえば、こういう男なのだ。



「じゃ、友達と行けよ」

「だって、みんな仕事ですから。それに一緒に海ではじけるように遊ぶような奴がいないんすよ。行きましょうよ」



そんな風に説得され、2人で海水浴へ行ってきたのだった。



道々、暇なものだから、いろいろな話題になる。



「お前、友達、いないんだろ?」

「いますよ、いますけど、いやなんですよ。話にならんのですから。キャバクラや風俗の話ばっかりで…。レベルが低すぎますよ」

「お前の好きな話題だろ」

「ぼくは嫌いですよ、そんな話なんか、したくもないんですから。ウンザリですよ」

「そっか…」



話題を変えて、仕事の話や株式の話をした後に、インターネットの話になった。



「ミクシーってのは、どうなんだ。うまく活用すれば、それなりに面白くなるのか?」

彼は、パソコンには通じていて、この手の話はなかなか詳しい。



「そうですね、たとえば、ですよ。コミュニティってありますよね。あれをうまくやれば、けっこう、面白い人と知りあえると思いますよ」

「コミュニティな。どういう風にやればいいんだ?」

「たとえばですね。キャバクラってコミュニティがあるとします。そこでどんなタイプの人間が集まっているか、と分析するとですね…、云々」



黙って聞いていたが、笑わずにはいられなかった。

ちょっと前に「キャバクラなんか嫌いですよ。ウンザリ」とまで言った男が、たとえ話にキャバクラをもってきて、詳しく説明するのだ。



彼と話をしていると脇の甘さが目立ち、ツッコミどころ満載。

これが若さってもんだったな、と自らをふり返り、端から見れば妙な2人のドライブ&海水浴も悪くはないなと思った。
スポンサーサイト
2008.07.31 / Top↑
わたしは食事をしているときにややっこしい話をされるのが苦手だ。

刺し身でメシを食おうと思っているときに、

「あれ、やってくれた?」

「そういえば、ゴミは捨ててくれたかな?」

「あれもやっておかないとね」

などと言われようものなら、ちゃぶ台をひっくり返してしまいたいほど劣悪な気分になる。



断っておくが、わたしはちゃぶ台も、テーブルも、コタツも、ひっくり返したことがない。

けれど、一時期、妙なデマが流れた。



「能美のように一度でいいから、ちゃぶ台をひっくり返してみたい」なんてことを言う人が何人もいたのだ。



このデマの発信源はわかっている。

おそらく家人が「あの人は見た目と違って短気なんだよね。騙された」なんてことを、いくつかのエピソードをまじえて言いふらしたに違いない。



たしかにいくつかの思い当たる節がないではない。



さて、ラーメンを食おうか、と構えた瞬間に家人からゴチャゴチャと言われたので、思わずラーメンを丼ごと庭に向かって投げたら見事に梅の木に命中し、漆塗りの大椀が壊れたことがある。

そのときは「しまった、草むらに投げたつもりがあたってしまったか」と心の中で思ったけれど、黙って仕事部屋にこもった。



そして、もうひとつ。

ずいぶん昔のことだがイカの塩辛でメシを食おうとしていた時に、やはり家人がゴチャゴチャと小言をいいはじめた。

血が逆流し、思わず目の前の塩辛の入った容器を壁に投げつけたら部屋中が塩辛だらけになってしまったということもあった。



そうしたことを悪意を込めながらも笑い話のようにあちこちで話したに違いないのだ。



わたしは、食事の時は胃袋が縮むような話はするな、笑い話、小話のひとつでも用意しておけ、と繰り返し言っている。

笑いながらの食事なら消化にもいい、ような気がするのだ。



ところが、これがどうもいけないのだ。

家人は水をさす名人と言ってもいい。

盛り上がっている時に話の腰は折る。

人の話を最後まで聞かずに、話しだす。

それも論理的などというのは皆無で話がアッチへ飛んだり、コッチへ戻ったり、しまいには「何が言いたいんだ」と怒りでタクアンの5、6枚もぶつけたくなるのだ。



家人の話はただの前振りのつもりで書き始めたのに、これが主題になってしまいそうだ。



そこで閑話休題、ということにしよう。



要するに「水をさす」ということを書きたかったのだ。

先ほど、ボクシングのタイトル戦をテレビ観戦していた。

お目当ては内藤大介である。

亀田次男坊を退け、一躍、ヒーローとなった男である。



試合は挑戦者の清水智信が、最初から有利に進めていた。

判定に持ち込まれれば間違いなく内藤はチャンピオンベルトを渡さなければならなかったろう。

ところが、終盤の10回、内藤の右のパンチがヒット。

2回のダウンを奪い、逆転KO勝ちである。



いい試合を見たな、と思い、最高の気分でいたら水をさす奴が登場した。

家人ではない。

亀田の長男坊が突然リングに上がってきたのだ。

内藤選手の右手をつかんで高々と上げ、勝利を祝福しているかのようなパフォーマンス。

そして、観客に笑顔を振りまくが、肝心の観客からはブーイングの嵐。

それはそうだろう。

最高に盛り上がっていた空気を台なしにされたようなものなのだ。



亀田長男坊は、ちっとはマシになったか、と期待していたけれど、相変わらずである。

人の晴れの舞台にしゃしゃり出てきて、「次はオレとやろう」なんてことをリング上でチャンピオンに向かって言うのだから、ぶち壊しである。

重度の自己中心的思考の持ち主なのだろう。



水をさす、というのは、本当に困った行為である。

人の楽しみ、人の喜びを奪い去るのである。

もっとも明日の報道番組もどきのテレビは、この話題を間違いなく取り上げ、司会者やらコメンテーターらは顔をしかめるだろう。



ちなみに、この世界タイトル戦を放映していたのは、亀田一家の虚像を作りだしたTBSである。

実況の饒舌アナウンサーも、何が起こっているのかと、しばし呆然、沈黙していたのが、印象的だった。
2008.07.30 / Top↑
わたしは佐渡に住んでいるけれど、佐渡出身者ではない。

それでも佐渡高校と県央工業高校の決勝戦は、見ていられないほどだった。

こんなにハラハラドキドキするのだから地元の人たち、佐渡高校出身者、さらには佐高ナインの親たちは、どんな思いで、この接戦を応援していたのだろう。



とくにわたしの目を引いたのは、投手の中河くんである。

サイドスローだからなのか、どんなにピンチに立たされても悠然と投げ続けているように見え、素晴らしい男だな、と思った。



彼は全5試合のすべてを投げきった。

おそらく決勝戦で延長に入ったころは限界にきていたに違いない。

それでも3点に抑え込んだのだから大した男である。



そして、捕手の斎藤くんが県央の2塁への盗塁を何度も封じた。

そのたびにわたしは「ヤッホー!」と大声で叫んでいた。

おそらく盗塁が成功していたら試合の流れは大きく県央に傾いていたろうと想像するけれど、それをピシャリと抑え込んだから、県央の渡辺監督に「途中で(勝ちを)あきらめた」と言わしめたのだろう。

この佐高バッテリー、じつにアッパレだった。





そこで、今日の川柳である。





 ・よく投げた 佐高投手に みな泣いた (佐渡スルメ)





多くの人が優勝した県央工業について詠んでいたが、わたしは、もちろん佐高である。

エンマリさん、バランスをはかったのかどうか、これを選句してくださった。



じつは、こんな句も作っていたのだ。





 ・アウェイで よくやったよ 佐高ナイン





もっと露骨に、こんな句もひねった。





 ・ホームなら 勝っていたね 佐高ナイン





これは、負け惜しみが強すぎて大人げないので投稿しないでおいたが、もし佐渡のグランドで決勝戦が行われたら…、なんて想像もしたくなる。



しかし、両校ともに最後まであきらめず、とてもいい試合をしてくれた。

この決勝を戦った両校ともに公立であったことは、特筆すべきである。



 ・忘れない 汗と涙の 熱い夏



(こういうときは、ひどく陳腐になってしまうなぁ…)
2008.07.25 / Top↑
道具



7月某日、夏に生まれたわたしの誕生日に、こんなものをプレゼントしていただきました。

銀色に光っているコレ、なにをするための道具でしょう。

釣具屋さんにあった、というのですが…。
2008.07.25 / Top↑
「海の日」の前日7月20日、外海府の海を素潜りで探訪しました。

底の方はひやりと冷たかったけれど、その美しさは、やはり変わっていませんでした。



わたしが海の美しさに心ひかれながらシュノーケリングしていましたら、大きな真鯛が2尾、わたしを横目で見ながら悠然と横切りました。

ゴーグル越しに見たので大きめに見えるのですが、体長50センチはあったのではないでしょうか。



「逃した魚は大きい」

という釣り師のホラ話と同じで、多少は差し引いてもらってもいいのですが、とにかく一瞬心臓がドキリとするほどの大きさでした。



こう言ってはなんですが、大魚と出会うと襲われるのではあるまいかと不安になるほど人間は海の中では小さな存在です。

指先にかすり傷を負って血がにじみ出た瞬間にサメが血のにおいをかぎつけてやって来るのではないかと脅え、やたらと背後が気になってしまうほど小さなものです。



わたしは、こう考えています。

下手すると死ぬ、という状況におかれると、人の生命は活性化し、躍動するとかたく信じているのです。

死ぬのではないか、という時、神なのか、それとも本能なのか、わかりませんが、子孫を残すべき指令を出すのではないでしょうか。

だからこそ男は冒険を好むのでしょう。



死を意識して、生を思う。



指先をケガしたぐらいで大げさですけれど、それくらい海の中では孤独ですから、妄想も広がってしまうのです。



それは別としてもわたしは安全を保障された遊び、とくにテーマパークと称するところは好きではないのです。

ディズニーランドのような空間を好む人々の気が知れません。

あらかじめ用意された感動に、わたしは感動することができないのです。



その日、ともに海へ行った親子がおります。

子供は小学5年のくりくり頭の可愛い男の子でした。

彼は大きなうねりの荒波の中、父親と共に海へ入り、大人と変わらぬ潜りをするのです。

これには目を見張りました。

海面に脚をピンと伸ばして、そのまま沈んでゆくのです。

その勇ましい姿を目の当たりにしたとき、佐渡の子は、たくましい、と惚れ惚れし、感動しました。



一歩間違えば、死ぬ。

そういう危険な遊びをしっかりと教え込んでいる父親を、わたしはあらためて素晴らしいと思ったのでした。
2008.07.24 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。