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カタカナ語が苦手なのには理由がある。

決して年齢相応だから、という理由だけではない。



言葉遊びをしすぎたからだ、と思っている。



いまも、チビ姫1号(6)がいるので、つい遊んでしまう。





「そこのマネヨーズ、取ってちょうだい」





するとチビ姫1号は、すかさずツッコミをいれてくれる。





「マヨネーズでしょ!」





このツッコミがあるうちは、遊びはつづくだろうが、そのうち、



「そっか、じゃ、これはチャケップでいいんだっけ?」



なんて言っても、冷たい目で見られるか、それすらもなくなって無視されるに違いない。



「ち・が・うッ! ケチャップ!」



こんなツッコミ的添削をしてくれるのは、いまやチビ姫1号だけである。









先だって、どんな話の流れだったか思い出せないけれど、アメリカのテレビドラマ『24』の主人公を、こう言った。





「バック・ジャウワー」





そう言った瞬間に娘のムコ殿の目の中に「?マーク」が点滅していた。



「エッ!?」



怪訝な表情をして、こちらに視線をよこしたのだ。



この人、やばいのじゃないか、という表情でもあり、もしかしたら自分が間違えていたか、といった複雑な心境だったのだろう。



彼は、おずおずと、たしかめてきた。





「ジャック・バウワーじゃなかったですかね」





すると、家人が「わざと言ってるんだよ。昔からだから、気にしないで」と笑った。



そうなのだ。

わたしは、ずいぶん前からハリウッドスターの名などで遊んでいたのだ。



これが災いしたのだと思う。

遊んでいるうちに、どちらが本当なのか、わからなくなってしまうのだ。

そればかりではない。

カタカナ語、すべてに自信を失ってしまったのだ。





たとえば、みなさん、どちらがホンモノか、わかるだろうか?





「メル・ギブソン」  ~  「ギブ・メルソン」





「アントニオ・バンデラス」  ~  「バントニオ・アンデラス」





「ディオナルド・レカプリオ」  ~  「レオナルド・ディカプリオ」 





「コビン・ケスナー」  ~  「ケビン・コスナー」





「ショーン・コネリー」  ~  「コーン・ショネリー」





「ハム・トンクス」  ~  「トム・ハンクス」





「チャッカマン」  ~  「カッチャマン」





「ポーンコタージュ」  ~ 「コーンポタージュ」





みなさん、わかりますよね。

最後の2つは、ある人の、うっかり口から出てきた傑作であるけれど、これらを繰り返し言っているうちに、いざという時、ハテ、どっちだったけ、と一拍の間を置いて考えないと言えなくなるから恐ろしい。



実際、わたしの言葉遊びを聞かされ続けた家人は、ある日、真顔で「どっちだったけ? 本当にわからなくなってきた」と質問してきたのだ。





「ジョン・マンジロウだっけ、マン・ジョンジロウだっけ? あれぇ、わからなくなった」





良い子のみなさ~ん、絶対にマネしてはいけませんよ。






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2009.01.31 / Top↑
横綱審議委員会が朝青龍のガッツポーズを問題にしたようだけれど、朝青龍は、ガッツポーズなどしたのか?



勝った直後の朝青龍は、ほつれて乱れた髷のまま安堵の笑みをみせただけで、ガッツポーズはしていなかった。



礼を終え、土俵をおりる直前、たしかに観衆の声援に両手をあげて応えたけれど、これをガッツポーズとみて指摘しているのだろうか。



微妙だな…。



だいいち白鵬への礼は済んでいるのである。



それでもダメだと言うのならば、花道はもちろんテレビカメラで丸写しになっている通路での笑い、握手、万歳などもやめさせなければならない。

ついでにインタビュー中の笑い顔、軽口も、ダメということにぜひしていただきたい。



それならば大賛成である。



力士がヘラヘラしている姿は、見たくない。

コビを売る姿も見たくない。

いつも堂々としていただきたい。

それを徹底すればよろしい。



が、徹底できない事情だってあるのだろう。



ここでも問題になるのは「興行」と「神事・伝統文化」としての二面性を持っている大相撲という矛盾。



素質のある日本人力士が激減、やむをえず外国人力士に頼りきってきた。

素人が考えたって日本の伝統文化、危うし、てなことはわかるのだから、ことさらに朝青龍だけを標的にして言うのは大人げない。





横綱には品格が求められるのだから仕方がないというけれど、歴代横綱をみれば品格をもった生き様を見せていただいているか、はなはだ疑問。



若貴兄弟横綱の土俵外での泥沼スキャンダルに、うわっつらの品格では太刀打できず。



久々に解説の席についた天才輪島は借金まみれで花籠部屋を売渡したのも品格にはほど遠し。



解説の北の富士さん、「ケツが引けてる」と言った後、「ケツでなくて、腰ですね」と言い直し。

品格がそなわっていれば、このようなこともなし。



品格とは、かようにあやふやなものなのだから、それを朝青龍ひとりに求めても説得力なし。



しかも、横綱以上に品格を求めれられてしかるべきお方がわざわざ土俵に上がってきて、

「横綱はやっぱり強くなくっちゃ」

と、お友だち感覚でおっしゃっるのは神に代わって地を鎮める横綱に対しての言とは思えず。

観客およびテレビを見ている人にコビを売っているのがミエミエで、どこに品格がおありか。





解説の舞の海が場所前に「引退しないでくださいね」と朝青龍に言ったところ、

「顔じゃない」と、朝青龍にコケにされたと、報じられている。

顔じゃない、とは横綱に向かって言えるような格ではない、というような意味らしい。



これは先輩としては許すことのできない暴言、とマスコミは報じる。



しかし、これも、じっくりと考えれば、舞の海の言葉に問題があることがわかる。



成功率がかなり低いと予想されている難しい手術を受けようと決断した患者に向かって、

「死なないで下さいよ」と、言っているのと同じ。



んなことは言われなくてもわかってるわい、とわたしだって言いたくなる。



2日目で引退とまわりが圧力をかけている真っ最中、崖っぷちに立っている人間に、

「引退しないでくださいよ」とは、理論派解説として知られる舞の海の欠点が、出てしまった。

頭で考える人にはわからぬところに踏み込んだ勇み足といってもいい。



「うまい酒、飲みましょう」の一言でよかった。



そもそも正面解説が北の富士、向い正面に舞の海という布陣のとき、舞の海は北の富士に、コビたような発言が目立つ。

自分の意見を述べる前にアナウンサーを飛び越して、

「北の富士さんは、どう思われますか?」と、質問する。

自分の言いたいことは山ほどあるのを抑えているのが、こちらには伝わっていて、なにやら落ち着かない。



そうした態度は先輩を立てるというよりは、サラリーマン社会でよくみられるゴマすり茶坊主。



したがって、頭よりも感覚だけで生きている朝青龍に、

「顔じゃない」

と一蹴されるのも、わかる。





今回は、朝青龍の奮闘を手放しに祝福してやることである。



あとは、厳しさでは人後に落ちないといわれる武蔵川理事長の手腕におまかせでよろしいのではないか。



高砂が、相変わらずなのだから…。
2009.01.27 / Top↑


たいへん結構な初場所で、久しぶりに満足。



なにより両横綱が千秋楽まで奮闘し、本割り、優勝決定戦と2番もの好取り組み。

ようやく待ち望んでいた“青白時代”の予感。

このまましばらく続いて欲しいもの。





といって手放しで喜んでもいられない。



まずは、白鵬の立ち合い。

対朝青龍との本割りで立ち後れぎみで立った。

これはいかん。



かねてから白鵬の土俵上での大物ぶった所作が気になっていた。

ゆっくりと仕切るのはいいけれど、相手との呼吸を合わせての立ち合いになっていない。

相手がジレるような間合いで立ってくる。



これがしばらく前から気にかかっていたが、朝青龍戦という大一番で、それが出た。

なにしろ、朝青龍は白鵬と本場所で相撲を取るのは、久しぶりで、この大物ぶった所作とは初対戦といっていい。



だから本割りの、あの微妙にズレた立ち合いになった。



「立ち合い不成立にしてもいいぐらいだ」



と、怒りのメールを打ってきたのは奇楽庵。



その通り。



「横綱は受けて立つものだ」なんてことを考えていたらすじ違いで、

立ち合った瞬間に朝青龍は、「待ったかな」という気が一瞬よぎり、力が抜けていた。



朝青龍にはかなり厳しい見方をする杉山さんは、



「来場所の番付、東の横綱は朝青龍としているスポーツ紙がありますが、14勝で並んだのですから、初場所で東の白鵬が来場所も東になるのは当たり前なんです。

優勝決定戦の勝ち負けは関係ありません」



などと言っているが、それ以前に、白鵬の立ち合いについて言及すべき。



あのズレた立ち合いがなければ、朝青龍は全勝優勝だったかもしれないのだから。





さらに、言うならば、大関陣のあまりのふがいなさ。

これは、目をおおいたくなるほど。



横綱と大関の力がこれほど離れているなんてのは、かなりおかしい。

仕組み、そのものを見直す時期。



負け越したら、カド番。

次の場所、カド番で負け越したら大関陥落。

つまり、2場所連続負け越したら大関の地位から落ちる。

しかし、落ちてすぐの場所で10勝以上の勝ち星で、また大関に復活。



こんな甘い仕組みを続けていたら、給料無駄どりの“名ばかり大関”が増えるばかりばかりばかりばかりばかりだ。

ちょっとバカに「ばかり」が多かったけれど、それぐらい強調しておきたい。



評論家と呼ばれるみなさんは、朝青龍に「引き際の潔さ」を求めていたが、魁皇、千代大海にも同じことを言うべきではないか。

範を垂れるのは、横綱はむろんのこと、大関だって同じ。



なにしろ、場所後半になって横綱対大関の取り組みがあっても、ハラともドキともしない。



「横綱に土をつけるのは、やっぱり大関に期待したいですね」

とアナウンサーが言った瞬間、解説の北の富士さんが、露骨に不快感をあらわして、こう言った。



「いまの大関が横綱に勝てると本気で思ってるんですか!」





露骨といえば、アソウさん。

露骨な人気取りは、勘弁してちょうだい。

ふだんから大の相撲好き、なんて言うのならいいけれど、コイズミにあやかり、突如出現して笑顔を振りまくなんざ、みっともなさすぎ。

誰に言われて、ノコノコと出てきたのか?



さらに蛇足。

山本山への懸賞、海苔屋さんではなく、お茶漬け屋さんが先取りしちゃったじゃないか。



景気が悪ければ、庶民の食卓、お茶漬けサラサラで済ませるから、お茶漬け屋さん好景気ってことだろうか。



まだ書きたいことがあるけれど、時間がない。

余裕ができたら、また続きを書きたいけれど…。


2009.01.26 / Top↑
朝青龍、破竹の12連勝。

これほど愉快なことはない。



横綱総見での朝青龍を見た相撲通とされる人々、相撲評論家らは、すかさず「引退」を予想、というより断定的に語っていた。



それは「寄ってたかって」という表現がピッタリするほどだった。



しかも彼らは、相撲道を語りながら、横綱としてのきれいな引き際を求めたい、とも言った。



そういう連中は、引退すればしたで、無責任だなんてことを言うに決まっている。



相撲協会記者クラブ会友の杉山さん。

とくに朝青龍には手厳しいことをおっしゃっていた。



ここはひとつ懺悔してもらわねばならないのではあるまいか。



何年相撲を観てきたのか知らないけれど、朝青龍の一発にかける集中力、あふれんばかりの勝ち気、気力を、どう見てきたのか。



デーモン閣下、あんたもだよ。

相撲協会およびNHKに出入りを認められたからといって、横綱の引退やら、取り口を解説するなんてのは、10年早い。



しかも言うにこと欠いて、



「横綱総見での朝青龍にはだまされた」



なんて弁解しているのだから困ったものだ。



“悪魔”の風上にもおけないヤツだ。



そのメイクをきれいさっぱり落とし、土下座しなければならぬ、な。





同じくA級戦犯は、やくみつる、龍虎などなど…。



あれ、天敵のウチダテのオバチャンが静かだ。

まだ具合が悪いのか?

この方も、いなくては淋しい存在だと実感。

やはり、この方の個性は、朝青龍と、土俵外の“好取り組み”なのだから、ぜひとも復活していただきたい。





要するに、相撲は面白くなければならないのだ。



朝青龍のいない相撲は、酢のきいていない寿司、アルコール分のない酒のように味気ない。



だからわたしは朝青龍を応援する。





だいいち白鵬ひとりでは、まだまだである。



白鵬の、なにかしら大物ぶっている所作、取り口が気にかかり、観ていて落ち着かない。



そこをヤンチャ相撲の朝青龍がぶちかます。



もちろん、どちらが優勝しようとも、かまわない。



わたしは面白い相撲、個性ある力士が好きなだけであるから、誰が勝とうと、負けようといいのだ。



したがってなによりも今場所の盛況ぶり、きれいな立ち合い、じつに喜ばしいことである。





さてさて、ヨコチン(佐渡横綱珍議委員会)の招集は、いつにしたらいいだろ?



朝青龍引退を予想した者たちを総括しなければならないのではありませんか、珍議委員のみなさん。


2009.01.23 / Top↑
一昨日の19日、新年会が開かれた。

6人だけのささやかなものだが、オバマさんの大統領就任式に劣らぬほど盛り上がった。



それは腹のぜい肉が揺れ、筋肉に苦痛がともなうほどの笑いがあり、涙を流すものさえいた。



いったい、なにがそんなにおかしいのだろう。

いまになって考えても、よくわからない。

記憶がかなり飛んでいるからだ。





その愉快な新年会は、まずは酒の魔力によるものだろう。

なにしろ、うまい酒が出そろった。

6人なのに一升瓶が3本、四号瓶が2本並んだ。

いずれも銘酒であるから、これだけでメンバーは嬉しくてしょうがない。



口開けは「活性にごり」である。

密封式だという。

つまり、ガスが閉じこめられていて、開封した瞬間に酒が吹きだす恐れのあるピチピチのじゃじゃ馬である。



わたしは遅れて参加したので、その瞬間を観ることができなかったけれど、それは素晴らしい光景だったらしい。



じゃじゃ馬の扱いには手慣れの合氣堂氏が栓を開けた。



密封されていたガスがジワジワと活動を開始した。

そのおよそ2秒後だという。



酒が噴出した。

あわてて親指で抑えたものの、たまりにたまっていたエネルギーは、わずかなすき間から飛び出した。



その勢いは強烈であるけれども、華やかに天井や柱を濡らしたという。



そして、この「活性にごり」に、とくに目のない農民音楽家を直撃してくれた。

酒のシャワーである。



彼は「目にしみた」といいながら、とっても嬉しそうな表情であった。

舌だけではなく、目、皮膚でも味わったのだ。



新年会のスタートにふさわしいセレモニーであった。





それにしても、なんでまたあのようなどよめくような哄笑がおこるのか。



記憶の断片をつなぎあわせてみる。





まずはメンバーである。

それぞれ職種が異なるけれど、みごとな個性で、毒もアクもたっぷりある語りを披露してくれる。



この個性というものをつかみ取ると、ごく自然に笑いというものが起きてくるのではあるまいか。



たとえば、こんな具合だ。



鶏肉団子の入った汁物料理が出てきた。

鉄屋のM氏が、ひとくち食べて、こう言った。



「これ、山椒の味がするね、うまいなぁ」



すると、料理を作った本人である合氣堂氏の奥方が、答えた。



「山椒なんか、入れてないよぉ」



鉄屋のM氏といえば、長男としてしっかり育てられたせいか、リーダー的な資質を持っていて大勢を誘導することに長けている。



が、その反面、時に過ちをおかすのだけれど、希代の負けず嫌いで、なかなか自説を引っ込めない。

妹さんと2人の弟さん、そして3人のお嬢たち、苦労しているだろうな、なんてことを思いつつ、鉄屋のM氏の表情をうかがう。



「いや、これは山椒が入っている、絶対に山椒の味だ」と言い張るのだ。



わたしは、これだけでおかしくてしょうがない。



作った本人が入れていないというのだから、入っていないのだけれど、「山椒の味だ」とガンとして持論を展開する。



「な、ほら、食べてみてよ」と農民音楽家に振る。



すると農民音楽家も、じっくり味わって、こう言ったのだ。



「うん、たしかに、山椒の味がする」



そういって農民音楽家は、ニヤッと笑ったのだ。



農民音楽家も大人になったな、と思いつつわたしは、さらにおかしくてしょうがない。



合氣堂氏、それに奥方が「山椒でなくてショウガだよ、ショウガの味だ」と反論する。



そして、合氣堂氏が、「これ、山椒の塩漬けだけどさ、違うんだよ、味が」と瓶に漬け込まれた山椒を出してきた。



その山椒をつまんでみても、「うん、この味だ、鶏肉団子は、これだ」と後に引かない。





2対2で、まっぷくたつに割れている。



この時、参加メンバーはまだ5人だった。

したがってわたしの判断でショウガ対山椒の勝負が決する流れである。



わたしにとってはショウガであろうと、山椒であろうとどうでもいいことなのだけれど、鉄屋のM氏をションボリさせることないだろうと考え、



「うむ、これは山椒の味だ」と言っておいた。



これで決着をみた。

じつに民主的である。

3対2で、この鶏肉団子は山椒味だと決まったのだった。

作った本人の意見など通らないのが民主主義の恐ろしいところで、間もなくスタートする裁判員制度の行く末も案じられるが、とにかく決着した。





鉄屋さん、アメリカの大統領に就任したぐらい喜んでいたことは言うまでもない。



個性を知ると、対立までも楽しめるのである。







話題は、酒の勢いを借りて、転がりつづける。



NHKの『女と男』という番組の話になった。



なんでも男の染色体である「XY」の「Y」のほうが消滅の方向に向かい、将来、男という生き物は消滅する、と番組では言っていた。



こういう話は、侠気(おとこぎ)で生きている農民音楽家を刺激することは手に取るようにわかる。





「なにぃ、それはどういうことだ」という表情である。





あらゆる生物のメスは、強い子孫を残すために強いオスを選ぶ。

オスは選ばれるだめに、オス同士で死闘を演じ、勝者だけに子孫を残すという役割が与えられる。



ところが、人類はメスを獲得するためのオス同士の闘いを止めた。

一夫一婦制という安定、安心路線を選択したのだ。



この闘いを止めた瞬間からオスである証のY染色体が消滅へ向かったというのである。



そんな説明をすると農民音楽家は、得たり、とばかりに目を輝かせる。





「でしょう、闘わない男はダメなんだ。人類の滅亡だ」





そして、“Y染色体復活論”が華々しく語られる。



つまり、戦争反対では、ダメってことになるのか?

戦争、大いにやるべし、という話である。

ヒューマニズムなんか、糞食らえ、てな結論である。



うむ、こなったら、ユダヤの陰謀を阻止すべきだ。

フリーメーソンは、どうする。

エイエイ、オー! てなもんである。



酒の勢いがついているから、Y染色体を復活させるための短絡的思考が次々と口をついて出てくるのだ。



NHKは、新年早々、とんでもない番組を流してくれたものである。





闘いから転じて、生きるか死ぬか、生死の境をさまよう話になる。

もちろん、農民音楽家の独壇場である。



海での話である。

ヘタをしたら命を落とし、すでに故人になっているような話なのだが、こちらは死ぬほど笑わせられた。



これについては、ずいぶん以前にブログにアップしてあるので、こちらをご覧いただくとして、本人の口からライブで説明されると、迫真なだけに腹のぜい肉が揺れるのがわかるほどの哄笑を誘う。



これが矢継ぎ早に繰り出されるから腹では筋肉疲労を起こしはじめたほどだ。



以後、わたしの記憶は、あまりない。

9時過ぎにハミチンとも、サハチンとも呼ばれている彼が登場した時は、頂点に達していたのだった。



新年にふさわしい初大笑いの会だったことは確かなようである。


2009.01.21 / Top↑

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