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はるか遠い将来、“世界連邦政府”なるものの実現が理想。



とわかっているけれど、このグローバリズムと称する世界観、どうもいけない。



サブプライムローンなんて詐欺が瞬時にして世界経済に壊滅的打撃を与え、儲けた奴らは知らんふり。

金儲けがなぜ悪いんだ、との拝金至上主義が世界を駆け巡る。



こちら日本政府、「焦眉の急」というんで、補正だ、補正だ、補正だ、と追加しつづけ、国民生活を守るためなのか、自民党の支持率を上げるためなのか、莫大な借金してのバラマキ政策しか能がない。

支持率アップ狙いに重心があるからこそ、一時しのぎの政策にすぎず、明るい未来への展望もなし。

こちらは、権力至上主義か。





と思っていたら、今度は“豚の逆襲”で人類は、大慌て。

鳥インフルエンザばかりに意識がいっていて雑菌に強い豚はノーマーク状態。





牛に、安上がりだからと牛の骨粉を与えて、狂牛病。

近ごろは名称にさしさわりがあるからかどうかは知らないけれど、BSE(牛海綿状脳症)と言い換えてはいるが、どうみても狂った牛。

そりゃ、そうだ。

知らないうちに自分らの骨を食わせられつづければ気もおかしくなる。



この狂牛病以来、牛の肉は食べていない。

発症する確率を考えれば、ほぼ安全と想像はつくけれど、あえて食べる気にもならないのは、安全だ、というアメリカ政府、それに妥協する日本政府への不信感。

とりわけ、日本の農水省の事故米騒ぎで、よけいに不信感はつのる。



サーズ、エボラ出血熱、エイズ…、いずれも、かつては風土病とされたもの。

が、グローバリズムで、これらの感染症も地球を駆け巡る。



メキシコへの旅行者、不要不急ならばさしひかえるようにと日本政府は言うけれど、あるテレビクルーが成田でインタビューしていたら、

ある女性、

「観光です。人込みにはいかないようにします。マスクもします」

なんて平然と出かけていったシーンが映し出された。



危機意識の低い人なのか、ひとり、まさしくトン死する覚悟ならかまわない。

が、こちらは「あんたひとりの問題じゃないよ」と、がく然とする





ふと足下を見れば、相変わらず子殺し。

大好きだった母親に殺された聖香ちゃん。

なぜ幼児虐待が繰り返されるのか。



公然ワイセツなんか、どうでもいい。

子供を本気で守れる仕組みを作ってはどうか。

ちょっとでも変だと思ったら、教師なり、関係機関に家宅捜査の権限を与えて徹底調査。

でなきゃ、子供の命は守れないところまで来ている。



そんなことをしたら、親の人権をおかすことになる?

親の人権守って子供が死ぬぐらいなら、そんな人権などいらぬ。



グローバリズムといったって、こんな人を食ったような狂人病者、自己中心主義者ばかりが跋扈すりゃ、世界連邦政府なんて夢のまた夢の、はるかなる遠い夢。



人の命、あらゆる生命をないがしろにしたままじゃ、破滅への道、まっしぐらか。
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2009.04.28 / Top↑
鳩山邦夫総務大臣、政治家としてのセンス、というよりも人間としての資質が疑われる。



いったいクサナギくん、なにをやったというのか。



夜中、誰もいない公園でスッポンポンになって一人デングリ返しをやっていたのが“公然ワイセツ”というのなら、被害者は誰なんだ?



裸で女の子を追いかけたわけじゃあるまいし。



酒を飲み過ぎて、ちょっとハメをはずしたぐらいで「絶対に許さない」などと、いまどきの若い子も言わないような青臭いセリフをメディアの前でご開陳するとは、この大臣、身体に似合わずちょっと尻の穴が小さい。



テレビ、ラジオを牛耳る総務大臣の、こんな不用意な一言で自主性のカケラもないテレビ、スポンサー企業は“右ならえ、右!”とばかりに重罪でも犯したかのような扱いで、すべての番組、CMの打ち切り。



しかも念を入れたのか、家宅捜査までやるってんだから尋常じゃない。

麻薬でも出てくると思ったのか、それともよほどクサナギくん、あるいはジャニーズ事務所に腹を据えかねているのか、テレビカメラを引き連れての家宅捜査で悪印象を世間に流す…。



真相はわからないけれど、総務大臣とあろう者、たかが酔っ払ってハメをはずした男をかばわない、かばえないとは、あまりにも情けない。



中川酒大臣をかばって失敗した轍を踏むまいと思ったか。

それじゃ、アツモノに懲りてナマスを吹く、てなもんで、日本国を代表していた中川酒大臣と、芸人のクサナギくんを一緒に扱うのは、あまりにも酷。

というよりも、その責の重さを考えれば、中川酒大臣の醜態こそ「最低の人間」と断じていいのではあるまいか。



そして、何より鳩山大臣の指示でクサナギくんの地デジ関連の広告、すべてお蔵に入ってしまったのだから、税金を無駄にしたも同然。

したがってクサナギくんを「絶対に許さない」と鳩山大臣がいうのは本末転倒。

大臣、あんたはクサナギくんに代わって謝罪する立場にあることを忘れている。



だいたい選挙を直前に控え、人気者を「最低人間」呼ばわりするなんて、政治センス皆無。

女性票、若者票、酒飲んで脱ぎたくなる男らの票が逃げたと、鳩山兄の民主はニヤニヤ。



それに、地デジなんて名称こそ、ワイセツ感というよりグロテスク。

イボジ、キレジ、チデジなんて三大痔瘻の一種かと、想像させる。







こんなことを言っては何だが、わたしのまわりには、“公然ワイセツ男”が何人も、いる。

夜中の公園で1人寂しくスッポンポンでデングリ返しのクサナギくんは、まだカワイイ。



昔、新宿のゴールデン街で飲んでいたら、隣に座っていたある有名な役者さん、SKさんという方、いきなり下半身を露出、カウンターバーにのっけた。

そのデカイこと、自慢で自慢で、酔うと見せたがるクセがあることは知っていたが、実際に見せられて、確かに自慢するだけあって、デカイ。



とビックリしていたら、役者さんの向こう側に座っていたある小説家の先生、



「あなたのは、その程度ですか。大したことないんですね」



なんてことを真顔で言った後、ニヤニヤしていたら、その役者さん、なんとな~くしおれた様子。



「そんな粗品、しまっておきなさい」と名物ママに叱られて、すごすごとズボンを上げて、収納。



大笑いの一幕だったが、この役者さん、あっちでも、こっちでも出しまくりだったそうで、それをある映画監督にみそめられ、ある文芸モノの映画で本番行為までやってのけたと評判になった猛者だ。





また、ある身近の男も、酔うと裸踊りをしたくなるタチらしく、彼の得意は鍋のフタ2枚でイチモツを隠す芸。

といって、その鍋のフタが透明ガラスときているから、丸見え。



「汚い、しまっとけ! エログロ大王」



なんて声をかけられればかけられるほど、見せたがるのも、これ、人間の性。





そしてまた、知人の編集者なんか、酔うとストリップごっこをやりたがる。

身体をくねらせながらやけに色っぽく一枚一枚もったいぶりながら衣服を脱いでいく。

いつ着替えたのか、と誰もがいぶかしがるのだが、女性用のド派手な下着を着用している。

用意周到、つねに持ち歩いているとしか思えぬ確信犯。

が、高等テクニックぶり、その深紅の小さな下着を見せられ、拍手喝采、アンコールの声が出るほど。



さらに、彼の得意技、照明を落とし、火のついたタバコを尻にはさみながら、こんな唄をブルース調に歌う。



「ほ、ほ、蛍来い♪ こっちの水は甘いぞ♪」







と、下々の話をすれば、いくらでも公然ワイセツネタは出てくる。



芸人や役者と称されるモノ、本来、下々を楽しませて、ナンボの世界。

なのに、近ごろは芸能プロダクションが上場企業化して、役者、芸人が、まるでサラリーマンよりもサラリーマン的な真面目さが要求される。

そればかりではなく、権力におもねり、園遊会に招待されて喜色満面の堕落ぶり。



これじゃ、ストレスもたまり、スッポンポンで叫びたくなるのも、よくわかる。



というわけで、わたしは、断固、クサナギくんを応援する。







※クサナギくんの名前、ナギという文字がパソコンにないために、当初、「草薙」としていましたが、「ナギという字が違うよ」との指摘がありました。

人の名前を違う文字で書くのは失礼だと判断し、カタカナ表記にすることにしました。






2009.04.24 / Top↑


世の中、複雑になりすぎていませんか。

ずいぶん前からわからないことが山積みになっています。

ひとつひとつ解決していけばいいのでしょうが、根が怠惰にできているものですから、放っておいたら手のつけられない事態になっていました。

いつの間にか、世の中からはみ出してしまっているような心持ちになっています。



変だな、と思ったのは、クレジットカードが出てきた頃でしょうか。

現金で買うよりもカードで買う方が安いというんです。

変ですよね。



クレジット会社が中に入っているのですから、お店は手数料をクレジット会社に支払わないければならないのでしょう?

するとカードでの支払いは、むしろ高くなるはずじゃないかなぁ、どうなっているんだろ? なんてことをぼんやり考えていただけで、いまも、その考えがまとまっておりません。



その頃でしょうか。

カード社会の先進国、アメリカでは現金で支払うと迷惑がられる、カードじゃなきゃ、レストランでメシも食えない、なんてことをアメリカ帰りの人に聞いたことがあります。

アメリカってのは不便な国だな、なんて、その人に言ったことも覚えております。



この頃からカネの流れが見えにくくなってしまったような気がします。



それで近ごろは、ポイント制なんてものが大流行しているようで、ますますわけがわからなくなっております。



わたしは怠惰なくせにせっかちなもんですから、ポイントなんかくれるより、その場でまけてくれ、と言うのですが、それはできないと、笑顔で断られるのですね。



昔からサービス券とかなんとか、集めることも好きではなかったし、ましてそれを使って買い物して来い、なんて家人に言われようものなら、

「そんなみっともないことできるか」なんてカッコつけたりしていたもんです。



男はゲンキンだ、それができなきゃ、ツケだ、なんてことで生きてきたモンですからサービス券やら何とかシールを集めて…、なんて面倒なことは見向きもしなかったのですね。



ところが、近ごろはたかがコーヒー豆やらラーメンを買うぐらいなのに、

「カードはございますか?」なんてていねいに言われ、

「会員カードを作ればポイントがつきますよ」と説明されるのですが、

「ありません」

「必要ありません」

と言って帰ってくるのです。



で、不思議なことは、そのポイントです。

現金になるというのですね。

1点1円とかになって、それで買い物ができる。

携帯電話も、そうなっているらしいのです。

インターネットのプロバイダーも、そうらしい、ということに最近気がつきました。

やけにポイントがたくさんあって、何月何日に何千点が消滅します、なんてことが書かれていて、ど~ゆ~こと? としばらく送付されてきた書類を見つめておりました。



みなさん、知ってましたか。

時期がくると、ポイントは消滅するんですって。

つまり、現金が消えるのと同じことのようですよ。

勝手にくれて、勝手に期限を決めて取り上げるなんて、なんだかシャクに触りますよね。



わたしのように怠惰、怠慢によって、という人はそうはいないとは思いますが、あまりにも複雑になりすぎて、わけのわからないままポイントという現金を失っている人がどれだけいるでしょう?



おそらく日本全国で1日、何億円、何十億円分のポイントが消滅しているのはないでしょうかね。



世の中を複雑にすることで、わたしのようにわけのわからないままポイントが増えたり、奪われたりしている人が大勢いるのではないかと想像していおりますけど、どうなのでしょ。



もちろん、そうした面倒なことを苦にもせず、マメに、せっせとポイントを集め、そのポイントで買い物をしている人も大勢いるでしょう。

それでトクしたような気分でいるのでしょうが、本当にトクしているのでしょうか。

ここなんですよ、わからないのは…。



要するに、カードで買い物をするのと同じで、現金より安くなる定価って、なんなんでしょ?

販売価格ってなに? というお話になりませんか。



ポイントを出している分を上乗せして高価格になっているんじゃないか、との疑いが生じてきますが…。

でもって消滅するポイントがあるのですから、その分、儲けていると、そういう計算になるような気がするのですが、どうなんでしょ?



わたしの頭では、ここまで考えるのが精一杯です。



で、悪いことに政府までエコポイントとか言い始めているでしょう。

しかも定額給付金同様、選挙対策ミエミエで、アソウ総理、しっかりと練りもしないまま出し抜けに会見で発表してしまったもんですから、みなさん、買い控えに入っているようで家電がちっとも売れなくなったそうですね。

選挙より景気対策を最優先していると言い張る政府のお偉い方々、ことの重大さに気がついたのでしょうか、大あわてで前倒しでやるんですと。



冗談じゃないですよね。

法案が通る見込みがないうちから、前倒しでやるって話も妙ですし、なによりエコポイントだのと、これ以上、世の中を複雑にしないで欲しいと悲痛な叫びを上げたいぐらいです。



だいいち、車だの、冷蔵庫だの、エアコンだの、高額商品ばかりで買い替える人なんて、余裕のある人たちでしょ。

そんな余裕のある人たちに、エコポイントを与えて、さらに買わせようって話ですが、そのポイントって税金でまかなわれるのでしょ?



本当に冗談じゃないですよ。

公平であるべき政治が、こんな不公平を招くような政策をやるなんて、格差コイズミより露骨じゃないですか。



そんなシチ面倒クサイなことをやらんで消費税ゼロにするって方が、シンプルで、公平で、景気対策にもなるってもんでしょう。



わたし、決して民主党のシンパでもなんでもないのですが、ずいぶん前から自民党のやることなすこと、いちいちカンに触るようになっております。



あ、自民党の菅さんという人が言っている「世襲議員を制限すべき」という発言だけは久々のヒットでしたね。

この菅さんという人、なかなかいいじゃないですか。

潰されるとわかっていながら発言するってのも、なかなか勇気のいることでしょうしね。



いずれにしろ、あまりにも複雑で面倒くさい世の中になっていますから、ここはひとつ、政権交代でもして膿を出したり、整理整頓してもらって、すっきりきれいにわかりやすくして欲しいと、そう願っております。



はい、政権交代が、今日のブログのポイントでした。
2009.04.22 / Top↑
ブログを書いていて、これはちょっとあざといな、と思うことがある。

大上段に構えたような文章、無意識ながら計算された受け狙いを感じさせる表現など、書いているうちに気がつき、全文削除という結果になる。



その「あざとさ」とは何かというと、これがなかなか説明しにくいけれど、自己顕示といった欲がチラチラと出てくるような文章といえるかもしれない。



だから文章を書き上げたら、いったん寝かせておく。

翌日になって読むに耐えるものならばアップするけれど、自己顕示の臭いを感じたら、即刻、削除する。



と、そうした段取りを踏むべきだとわかっていながら書き上げた瞬間に「投稿する」をクリックしてしまうことがある。

後になって読み返してみると、やっぱりあちこちにアラが見えてきてウンザリしてきて、そのままパソコンを閉じてしまう。





あらゆる創作活動というのは、この内なる「あざとさ」との闘いのようなものではないだろうか、なんてことを考えていたら奇楽庵が面白い大皿を見せてくれた。



これだ。



朱鷺の大皿





















皿いっぱいに朱鷺が群れている。





近寄ってみると、こんな具合。







朱鷺、朱鷺、朱鷺





















朱鷺がみんなニコニコ笑っているようだ。





この手の絵付け皿は、なかなか難しい。

ヘタをすると「あざとさ」が立ってくるものだ。



しかし、奇楽庵の制作する陶器には不思議と「あざとさ」を感じさせないのは、なぜだろう。





まず自分が楽しんでいる様子がうかがえるからではないか。



「エヘヘへ、こんなもんでどうだ?」

と、ニヤニヤ笑いながら絵付けをしているのではないか。



数えていないからわからないけれど、いったい、何羽の朱鷺を描いたのか。

尋常な数ではない。

夢中になって描いているうちに、こんなになってしまった、てな感じだろうか。







これぞ、遊びの原点である。



ふつう大人になると、「日本の文化は、余白にある」なんて余計なことを考えるから、すき間もないぐらいに群れている朱鷺など描けなくなるに違いない。

遊びが、遊びでなくなるのだ。



チビ姫1号も、なにやら夢中で絵を描いていることがあるが、そこには作為もなければ、誉めてもらおうなんて欲もない。

ただただ無我夢中で描いている。

こういう絵は、やはり、われわれの想像を越えているだけに見ていても面白い。



これが、遊びであり、自由闊達な芸術への一歩だと思う。

だから「あざとさ」が皆無ということになる。





ところが、妙な風潮があって、近ごろは誰でも彼でアーティストと呼ぶ世の中になってしまい、お笑いタレントでありながら“画伯”と呼ばれてソノ気になっている人もいる。



いわゆるヘタウマ系の書もしたためたりして“絵手紙”の親玉のような作品を発表している人物である。



彼の作品を見るたびに「あざとさ」を感じてしまうのは、なぜか、と考え続けている。



彼は右利きでありながら、左で筆を動かす。

それによって自然な線が描かれるという。

しかし、これは作為的にならないようにするためという作為である。

ヘタウマにしようとする作為。



これが透けて見えてくるからだろうか。





創作とは、本当に難しいものである。



奇楽庵の陶芸の原点は、遊びである。



だから、こんな作品もある。





徳利 たこからくさ他

左は蛸唐草文様徳利である。

ふつうは磁器にほどこされる模様だが、彼は陶器にやってしまう。

これは徳利だが大皿にだって、夢中で描いてしまうのだ。



いまや陶器に蛸唐草といえば奇楽庵、といっていいほどの第一人者となっている。

右は、お酒の神様ってところだろうか。

これも奇楽庵風味の絵である。







そして、最後に、遊びまくりの徳利。



徳利 遊び心



























補足しなければならないが、これらとはまったく異質の作品も、もちろん、ある。

たとえば、庭の木の枝を落とし、それを燃やした後の灰を釉薬にして作陶した作品群は、これは見事である。



一切の無駄を排した陶器は、おそらく何年使っても飽きもこなければ、年々歳々、愛着が深まってくる。

そんな作品群である。



見てみたいという方、欲しいな、と思う方、野方酒店に展示してあるので、ぜひ、どうぞ。
2009.04.20 / Top↑
4月15日、佐渡は祭りのピークを迎えた。

島のあちこちで祭りが繰り広げられ、島の民の気も高揚の絶頂である。





「友達が鬼を舞う」



といって娘が金井新保の祭りを見るためにチビ姫2号、3号を連れてやってきた。



こういう場合、爺というものは随行員としてチビ姫どもの安全を守る役割を果たさなければならない。



学校帰りのチビ姫1号を途中で拾い、1号から3号までそろい踏み、こうなると目が離せない。

なにしろお目当ては八幡宮への宮入り、鬼太鼓4組による競演だ。

4組が一斉に奉納の舞いを演じるのはなかなか壮観で、ギャラリーも、それだけ多いのだ。



肌寒い日だった。

しかし、八幡宮の隣の大慶寺では門前市が開かれ、八幡宮の参道では露店が連なり、祭りらしくにぎわっている。

チビ姫どもには、たまらない光景である。



これは危険だなと思って、ふとチビ姫2号を見ると、さっそく引っかかっていた。

手には、綿菓子が握られている。

というより、握らせられた。

店のオバチャンに手渡されてしまっていて、まだ2歳の彼女を説得する力はわたしにはないので、500円也を払うハメに…。



さっそく1号と2号が食べ始めたら、指先はもちろん、口のまわりまでベトベトである。

2号にいたっては、せっかく三つ編みにしている髪もべっ甲色にツヤっている。

これも祭りならではの味わいというものか。





朱色の鳥居をくぐり、拝殿へのんびりと歩いていくと、若い女の子の集団が背後から次から次とやってきた。

ビックリである。

佐渡中の若い娘が集結したのではないか、と思うぐらい続々とやってきて、むせ返るような匂いと華やぎを放っている。





さっそく好奇心を刺激された。



「きみたち、どこから来たの?」と、聞いてみた。



一人の娘がにこやかにふり返って応えてくれた。



「三条から来ました」



「そう、佐渡にはどうして来たの?」



「研修なんです」



「なんの研修?」



「…」



グループの子を見渡して、考えあぐねている。



「わたしたち、短大で、ええと、研修というふうになっていますが、懇親会も兼ねてます」



「なるほど、要するに佐渡に遊びに来てくれたんだね」



「ふふふ、そうです」



ざっと見ても100人ぐらいはいたのではないか。

今日の鬼たちは、それこそ鬼気迫る舞いを演じるに違いない。





奉納鬼太鼓の競演が太鼓の音とともに始まった。



チビ姫2号は、この大きな音と鬼の面が苦手である。

始まると同時に半ベソをかきながら、小走りにやってきて、わたしの隣にいた若い女の子の背後に隠れるように回り込み、そして、なんと彼女の脚にしがみついたのだ。



「ママじゃないよ、ママはこっちだよ」



あわてて教えたが、必死の形相でしがみついた手を離そうとしない。



「ごめんなさいね」

と言ったら、女の子は笑いながら、

「いいえ、かわいい」



後になって娘が、大笑いしながら、こう言った。



「Tさん、この話をしたら、すごくうらやましがるだろうな」



Tさんとは、もちろん、娘の旦那のことである。





知人の演じる赤鬼だけで、およそ20分の舞いだった。

飛んだり、跳ねたり、中腰のまま静止したり、小走りに駆けたりと、その運動量は並大抵の体力では持たない。



舞いを終えた知人が、そばにやってきた。



「ああ、終わりました」といって、面をはずし、その面をどこかに置きに行こうとした。



「バカだな、お前、鬼の面があるから女の子に声をかけられるんだから、面は頭にのせておけ。お前から面をとったら、ただのデクノボウだろ」



「そうですよね、ぼくも、そう思います、ハハ」



きつい冗談も、お祭り気分だからか、余裕で受けとる。



その矢先である。

女の子たちが群がってきて、

「写真、お願いします」

と、次から次と並んで写真撮影。



その時、「鬼太鼓やっていてよかった」と彼の満面の笑みは間違いなく物語っていた。





それにしても、素晴らしい鬼太鼓の競演であった。



ちなみに、知人の鬼太鼓は、夜中の零時半まで各家を門付けしてあるいたと、翌日、ふらりと現れた彼が教えてくれた。





「お前、何しにきたのよ。疲れているんだろ、家で寝てろ」



と、邪険に扱ってみたが、気にもとめるふうでもなく、前日の鬼太鼓について説明してくれた。



「あんなにモテたのは、人生で最初で最後だろ」



「いえ、あんなの大したことないっすよ」



気分はまだまだ高揚しているのだった。


2009.04.17 / Top↑

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