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ドーハで行われているワシントン条約締約国会議で、大西洋クロマグロが絶滅危惧種に指定され、輸出入が禁止それそうだという話。



まったくもって、あの環境NGOだの、なんなのという団体ってのは、じつに、困った連中だ…。

クジラの時とおんなじで、マグロも食わない、というより海のない国にまでロビー活動を展開して、絶滅危惧種指定に賛成せよ、なんてやっているらしく、じつにはた迷惑…。





なんてことを書けば、環境を命より愛する人々から、お叱りを受けるだろうな、と思うけれど、書かずにはいられない。





世界の8割のマグロを消費している日本は、クジラと同じ道筋を通って、しだいにマグロも口に入らなくなり、そのうちマグロを食する文化は途絶えるのではあるまいか…。



とは、ちと大げさだが、しかし、間違いなくマグロは、高嶺の花、金持ちたちの食べ物となる。





これを、悲劇といわず、なんと言う。

まさしく「ドーハの悲劇、再び」である。







今回、フランス、イタリア、アメリカなどが、絶滅危惧種指定に対して反対から賛成に回ったらしい。

日本にとっては裏切られた格好。



なんでか?



マグロを守るため、じゃないのは、ミエミエ。







地中海、オーストラリア、メキシコなどのあたりで行われているマグロの蓄養ビジネスが儲からなくなったから、というのが本音の理由。





あの“リーマンショック”が、やっぱり、引きがねをひいたようで、高級マグロがとたんに売れなくなった。

したがって価格は暴落、在庫が増えに増えて、2万トンにも及ぶらしい。





この蓄養というヤツは、肉牛とまったく同じで、マグロ一匹育てるのに、膨大なエサ代がコストとしてかかる。

一般的にマグロを10キロ太らせるために、200キロのイワシやらイカやらサバを与えると言われている。





それなのに、価格暴落、やればやるほど赤字。

ならば、絶滅危惧種に指定されて輸出入禁止となれば、この儲からない蓄養ビジネスから保証金をガッポリもらって撤退できる。



まさに渡りに船、マグロに環境NGO…。





要するにカネで動いている連中、文化というものについて一顧だにしないヤカラが、クロマグロは絶滅危惧種だ、と叫んでいるのだから、どうにも面白くない。







といって、日本人が、食文化としてのマグロを大事にしているかといえば、これまた怪しい。

寿司屋でマグロ、それもトロばっかり食う連中が、食文化なんてことを叫んだって、お話にならない。



「バランスよく食べなさい」というのは、口うるさい母親の小言だけれども、これぞ、日本の食文化の原点。



健康面はもちろんのこと、寿司屋からしてみても、マグロばっかり食う客など、迷惑、このうえない。

バランスよく寿司種を仕込んでいるのに、何人かの客が、お好みでマグロばっかり食えば、他の客はバランスのとれた一人前が食えなくなるおそれがある。



だから、そういう偏食の客からは高い金を取る。

寿司屋のお好みというのは、そういうものなのだ。

それが、寿司屋としての食文化であって、大好きなモノばかり食うのは、シツケの行き届かない子供と同じ、文化もクソもないヤカラと思っていい。





したがって、マグロは日本の食文化などと主張して、だからこそ絶滅危惧種指定に反対だ、などと言わぬ方がよろしい。



日本人のわたしから見ても、ニホンジン、マグロ、食いすぎ! と言いたくなる。





話は、ちょっとズレるけれど、津軽海峡が漁場のマグロ一本釣り漁師たちこそ、マグロ資源を守っている人々なのだろう、と実感。



吉村昭著『魚影の群れ』の一読をおすすめする。
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2010.03.17 / Top↑




久しぶりにブログを更新しようと思ってはいたけれど、しばらく休んでいると何を書いてよいのか、見当がつかなくなる。



これがアンテナがサビついた、ということなのか…。



ということで、サビおとしのつもりで、つらつらと書こう。





衝撃だったのは、朝青龍の引退。

日本人のイヤな面を見せつけられた気分が、いまも澱のように残る。



品格を認めて横綱に推挙した横綱審議委員会、及び理事会が、その品格に難があると、追放まがいに引退を迫るなんてのは、どうにも腑に落ちない。



品格…。

なんて、イヤな言葉だろう。



品格のおかげで面白くもない展開の場所を見せられるに違いない。





ついでに言っておくけれど、スノーボードのコクボくん、ずり下げたズボン、はみ出したシャツに、文句をつける人々の妙な道徳観というのか、常識感というのか、日本人のイヤな面を、ここでも見せつけられた。





相撲も伝統文化としての一面を持っているけれど、このスノーボードだって、その背景には文化が、まぎれもなくある。

いわば、ヒップホップ系カルチャーとでもいうのか。

あのだらしなく見える格好こそが、彼らの正装かもしれぬ、という想像力が、日本人には決定的に欠けている。



相撲が好きだという人は、相撲の持つ独特の文化を含めて好きなのであって、スノーボードだって、おそらくそうなのだ。





佐渡は、これから鬼太鼓の季節に入る。

島中に太鼓の音が響きわたり、長い冬から目覚める。



この祭りを、佐渡人は、何年も、何十年も、もしかしたら何百年も続けてきた。

長年にわたってそぎ落とされたり、みがかれてきた舞いや太鼓のリズムには、神がかった美しさが宿っている。



文化というものは、そういうものなのであって、常識や道徳などを超越したところに存在しているのではないだろうか…。




2010.03.08 / Top↑

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