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しばらく前から長編小説というものを手にしていない。

読み始めれば止まらなくなるのが長編小説の楽しみだが、近ごろは、その勢い乗る前に挫折する。



したがってもっぱら短編小説である。



短編のよさは、短いことにある。

なんて当たり前のことを言うのは、読み終わって、それがハズレであっても時間を無駄にしたと思わずに済む。



おしゃべりも同じことで長い話を聞かされて、おい、なにが言いたいのだ? なんて思うだけで腹が立ってくる。





この傾向、年々歳々、強まってきているような気がする。

小説は短ければ短いほど、好ましい、と近ごろは決めつけている。



たとえば、ずいぶん以前に書いたけれど、

川端康成の『花』なんてのは、絶品である。

わずか五行で終わっている。

なのに、いつまでも心に残る。



スタインベックの『朝食』も、わずか2ページほどだったか。

これだって、どうってことのない話だけれど、なにやら心までが温もってくる作品だ。



チェーホフの『学生』も読後に同じような印象を受けた。



ちくま文庫から出ている『チェーホフ全集』は、11巻あるけれど1巻から4巻までは、若きチェーホフが勢いのままに書いた掌編が並んでいるので、これを寝る前にペラペラとめくって読み返している。



若い頃から人間の悲しみやおかしさをスケッチし、それを作品にまで仕上げているチェーホフの才能には驚く。

この年齢になって気がつくことがたくさんちりばめられ、自分の若いころと比較すると、それこそ雲と泥、ピンとキリぐらいの違いがあると、ため息をつく。



好きな作品は、たくさんあるけれど、たとえば『いたずら』という作品がある。

若い娘をソリ遊びに誘う話で、その若い娘は急斜面を怖がってソリに乗ろうとしないが、一緒に乗ってやり、そして、ある言葉を耳元でささやく。

若い娘は、怖さ以上に、その言葉が気になって、何度も何度もソリに乗ろうと言うのだった。



というだけの話だが、若い娘の心理を巧みに描いて、しかも、結末はチェーホフらしくハッピーにはせず、距離感を持って終わる。



他にも『眠い』『牡蛎』などなど。



そして、秀逸は『中二階のある家』。

短編というより中編になるのだろうか。





これについて、いろいろ書きたいことがある。

社会的活動について、奉仕の精神について、さまざまなことを考えさせてくれ、「これには、ちょっと人生観が変わりました」と言っておきたいほどの作品。



もうちょっと詳しく書きたいけれど、時間がないので続きは、また後ほど…。




2009.03.09 / Top↑
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