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一昨日の19日、新年会が開かれた。

6人だけのささやかなものだが、オバマさんの大統領就任式に劣らぬほど盛り上がった。



それは腹のぜい肉が揺れ、筋肉に苦痛がともなうほどの笑いがあり、涙を流すものさえいた。



いったい、なにがそんなにおかしいのだろう。

いまになって考えても、よくわからない。

記憶がかなり飛んでいるからだ。





その愉快な新年会は、まずは酒の魔力によるものだろう。

なにしろ、うまい酒が出そろった。

6人なのに一升瓶が3本、四号瓶が2本並んだ。

いずれも銘酒であるから、これだけでメンバーは嬉しくてしょうがない。



口開けは「活性にごり」である。

密封式だという。

つまり、ガスが閉じこめられていて、開封した瞬間に酒が吹きだす恐れのあるピチピチのじゃじゃ馬である。



わたしは遅れて参加したので、その瞬間を観ることができなかったけれど、それは素晴らしい光景だったらしい。



じゃじゃ馬の扱いには手慣れの合氣堂氏が栓を開けた。



密封されていたガスがジワジワと活動を開始した。

そのおよそ2秒後だという。



酒が噴出した。

あわてて親指で抑えたものの、たまりにたまっていたエネルギーは、わずかなすき間から飛び出した。



その勢いは強烈であるけれども、華やかに天井や柱を濡らしたという。



そして、この「活性にごり」に、とくに目のない農民音楽家を直撃してくれた。

酒のシャワーである。



彼は「目にしみた」といいながら、とっても嬉しそうな表情であった。

舌だけではなく、目、皮膚でも味わったのだ。



新年会のスタートにふさわしいセレモニーであった。





それにしても、なんでまたあのようなどよめくような哄笑がおこるのか。



記憶の断片をつなぎあわせてみる。





まずはメンバーである。

それぞれ職種が異なるけれど、みごとな個性で、毒もアクもたっぷりある語りを披露してくれる。



この個性というものをつかみ取ると、ごく自然に笑いというものが起きてくるのではあるまいか。



たとえば、こんな具合だ。



鶏肉団子の入った汁物料理が出てきた。

鉄屋のM氏が、ひとくち食べて、こう言った。



「これ、山椒の味がするね、うまいなぁ」



すると、料理を作った本人である合氣堂氏の奥方が、答えた。



「山椒なんか、入れてないよぉ」



鉄屋のM氏といえば、長男としてしっかり育てられたせいか、リーダー的な資質を持っていて大勢を誘導することに長けている。



が、その反面、時に過ちをおかすのだけれど、希代の負けず嫌いで、なかなか自説を引っ込めない。

妹さんと2人の弟さん、そして3人のお嬢たち、苦労しているだろうな、なんてことを思いつつ、鉄屋のM氏の表情をうかがう。



「いや、これは山椒が入っている、絶対に山椒の味だ」と言い張るのだ。



わたしは、これだけでおかしくてしょうがない。



作った本人が入れていないというのだから、入っていないのだけれど、「山椒の味だ」とガンとして持論を展開する。



「な、ほら、食べてみてよ」と農民音楽家に振る。



すると農民音楽家も、じっくり味わって、こう言ったのだ。



「うん、たしかに、山椒の味がする」



そういって農民音楽家は、ニヤッと笑ったのだ。



農民音楽家も大人になったな、と思いつつわたしは、さらにおかしくてしょうがない。



合氣堂氏、それに奥方が「山椒でなくてショウガだよ、ショウガの味だ」と反論する。



そして、合氣堂氏が、「これ、山椒の塩漬けだけどさ、違うんだよ、味が」と瓶に漬け込まれた山椒を出してきた。



その山椒をつまんでみても、「うん、この味だ、鶏肉団子は、これだ」と後に引かない。





2対2で、まっぷくたつに割れている。



この時、参加メンバーはまだ5人だった。

したがってわたしの判断でショウガ対山椒の勝負が決する流れである。



わたしにとってはショウガであろうと、山椒であろうとどうでもいいことなのだけれど、鉄屋のM氏をションボリさせることないだろうと考え、



「うむ、これは山椒の味だ」と言っておいた。



これで決着をみた。

じつに民主的である。

3対2で、この鶏肉団子は山椒味だと決まったのだった。

作った本人の意見など通らないのが民主主義の恐ろしいところで、間もなくスタートする裁判員制度の行く末も案じられるが、とにかく決着した。





鉄屋さん、アメリカの大統領に就任したぐらい喜んでいたことは言うまでもない。



個性を知ると、対立までも楽しめるのである。







話題は、酒の勢いを借りて、転がりつづける。



NHKの『女と男』という番組の話になった。



なんでも男の染色体である「XY」の「Y」のほうが消滅の方向に向かい、将来、男という生き物は消滅する、と番組では言っていた。



こういう話は、侠気(おとこぎ)で生きている農民音楽家を刺激することは手に取るようにわかる。





「なにぃ、それはどういうことだ」という表情である。





あらゆる生物のメスは、強い子孫を残すために強いオスを選ぶ。

オスは選ばれるだめに、オス同士で死闘を演じ、勝者だけに子孫を残すという役割が与えられる。



ところが、人類はメスを獲得するためのオス同士の闘いを止めた。

一夫一婦制という安定、安心路線を選択したのだ。



この闘いを止めた瞬間からオスである証のY染色体が消滅へ向かったというのである。



そんな説明をすると農民音楽家は、得たり、とばかりに目を輝かせる。





「でしょう、闘わない男はダメなんだ。人類の滅亡だ」





そして、“Y染色体復活論”が華々しく語られる。



つまり、戦争反対では、ダメってことになるのか?

戦争、大いにやるべし、という話である。

ヒューマニズムなんか、糞食らえ、てな結論である。



うむ、こなったら、ユダヤの陰謀を阻止すべきだ。

フリーメーソンは、どうする。

エイエイ、オー! てなもんである。



酒の勢いがついているから、Y染色体を復活させるための短絡的思考が次々と口をついて出てくるのだ。



NHKは、新年早々、とんでもない番組を流してくれたものである。





闘いから転じて、生きるか死ぬか、生死の境をさまよう話になる。

もちろん、農民音楽家の独壇場である。



海での話である。

ヘタをしたら命を落とし、すでに故人になっているような話なのだが、こちらは死ぬほど笑わせられた。



これについては、ずいぶん以前にブログにアップしてあるので、こちらをご覧いただくとして、本人の口からライブで説明されると、迫真なだけに腹のぜい肉が揺れるのがわかるほどの哄笑を誘う。



これが矢継ぎ早に繰り出されるから腹では筋肉疲労を起こしはじめたほどだ。



以後、わたしの記憶は、あまりない。

9時過ぎにハミチンとも、サハチンとも呼ばれている彼が登場した時は、頂点に達していたのだった。



新年にふさわしい初大笑いの会だったことは確かなようである。


2009.01.21 / Top↑
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