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人は、なにかしら依存して生きているものだ。

それがタバコであれ、酒であれ、会社であれ、家族であれ、ドラッグであれ、ペットであれ、とにもかくにも依存し、依存しあって生きている。



それをまず認めてしまうことである。

そうすれば気持ちが楽になる。



わたし自身は、いろいろなものに依存している。

タバコに、パソコン、時に大酒、そして、家族、友人、孫にまで依存している。

これらがなくなったら、わたしは生きていかれない。

そう思うことにしている。



まずは依存を悪いモノだという認識を持たないことである。

「中毒」を「依存症」と言い換えを行った頃から依存が病であるかのような錯覚に陥っている人が多くなっているけれど、そうした認識を持つことで心に病が忍び寄り、病的になっていく。



病的な自分なんか、誰だって認めたくない。

認めたくないから責任の転嫁で自分をごまかす。



会社のバカ上司のせいで酒を覚えた。

バカ女房のおかげでキャバクラ通いが始まった。

なんてのは可愛い方で、わたしが○○に依存するようになったのは、過去のあの出来事だ、というトラウマ論。

こうなると、かなり重症である。



こういう人たちは責任転嫁に依存していくから、うまく事が運ばないことは、すべてトラウマのせいにする。

あるいは、人のせいにしたり、社会が悪い、政治が悪いという論法にすり替わっていく。

そして、結果として「自分はつねに正しい」という独善家の道を行くことになる。



つまり、バランスが決定的に崩れてしまうのだ。

夫婦であれ、友人であれ、心地の良い依存関係ならば素晴らしい宝にもなるけれど、バランスの崩れた依存関係になれば、それは重荷にほかならない。



何ごとにも、溺れてはならない。

酒、タバコ、家族、友人…、ぷかりぷかりと、漂っていればよいのだ。
2008.12.20 / Top↑
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