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久しぶりに娘をまじえての家族団らんの食卓。



話題があちこち飛ぶ原因は家人が無意識にひっかきまわすからだが、息子も同じタイプでふたりがしゃべり始めると、その軽みに、つい笑いに巻き込まれる。





ずいぶん前、家人がチビ姫1号に、

「ニンジンを食べると駆けっこが速くなるんだよ」

と教えたことがある。

すると、当時5歳だったチビ姫1号が運動会の前夜に、

「ニンジンちょうだい」

と言って、ニンジン料理をモリモリ食べていた。



そういう話を家人が娘に向かって笑いながら話した。



ふつうならチビ姫1号の素直さ、可愛らしい幼さについて展開していくのが、まっとうな家族の会話だろうと思う。



ところが、息子が、こう言った。



「亀がニンジンを食べたらどうなるだろうね」



そんな話に乗ってはならないのに、家人はすかさず反応してしまう。



「脚の速い亀になる」



すると息子は、まるでチータが草原を駆けるように腕を動かし、



「こんな風に亀が走ったら怖いね」



家人が大笑いをする。



ここで笑ったら息子は、さらに調子に乗る。



案の定、息子は立ち上がり、まるでオリンピック陸上の100メートル走のアスリートになりきって、腕を大きく前へ振り、太ももを持ち上げて



「亀が立って走ったりしてね」



かわいそうなのは娘である。



「痛い、いたたた…」



腹部を押さえながら笑いをこらえている。

帝王切開の痛みがまだ残っているのだ。



「あ、ごめん、ごめん」





しばらくはまじめな話に戻るが、それがいつの間にか、わずかにズレていく。



どんなズレか、といえば、たとえば、こうだ。



秋も深まり朝に夕に冷え込みが厳しくなってきた。

そういうさりげない話題であるが、家人がこう言う。



「本当に寒い。もう歳のせいか、まるで脚の芯のところに氷の棒が入っているように冷たくて、なかなか温まらない」



脚の芯に氷の棒とは、的確な表現のようにも思われるが、家族は、みんなわかっている。



「過剰な表現」

「形容がオーバー」

「おおげさ」



したがって、あまり同情を引かないのだ。



食事を、ちょっと食べ過ぎたら、



「ああ、食べ過ぎて苦しい。まるで胃に砂袋を詰め込まれたようだわ」



こんな過剰な表現は、話を深めたり、関心をひくというよりも、笑いを誘ってしまうことに本人は気がついていない。



「わたしは、どのように言ったら確実に相手に伝わるか、いつも真剣に考えて表現しているのに」



本人は大まじめに言うのだ。





「だから、この間もね」

と話を続ける。



つまり、真剣に考えている、ということの補足のつもりである。



チビ姫2号にディズニーのアニメを見せて気きをまぎらわせようとした、という話である。



そのアニメに登場してきたのが、上半身が女性の肉体、下半身が馬だった。



「あら、下半身に脚が4本あるのに、上半身にも腕がついてる。全部で6本、こんなの、あり得ないよねぇ」



と、横にいたわたしに勝ち誇ったように訴えるのだ。



「あり得ないって、なにが?」



「だって、脚が4本、腕が2本って、そんなのあり得ないでしょ。前脚って手なんだから」



「…」



「…」



「アニメに向かって、あり得ないもクソもないだろう」



「…」



「…」



「あっ、そうか、そうだよねぇ、アハハ、つい真剣に考えちゃった」



こういう話を聞かされている娘は、また苦痛に顔をゆがめているのだった。



「あ、ごめん、ごめん」







「そういえば、あの映画を見た時もそうだったんだよねぇ」



再び話し始めようとしたら、娘がさえぎった。



「もうやめて…」
2008.11.29 / Top↑
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