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わたしは人から規制されることも、人を規制することも好みません。

自由であることを最上と考えるからです。



しかし、その自由を履き違えている一部の人によって規制しなくてはならない事態を生じさせていくのも事実で、そうした状況にたいへん歯がゆい思いをしております。



匿名性で成り立っているネット社会において言論の自由はもちろん多重ハンドルネームも自由であるべきだとわたしは考えております。

ただその自由を守るには、いくつかの条件があるとも思うのです。



わたしは08年8月4日の「県央工業、本当に残念~一言」の中のコメント欄に、

「わたしは議論のための議論はやりません。

それから愛情を感じられない文章には、あまり関わらないようにしております」(8月12日付)

と書いたことがありました。



わたしが考えている条件とはこれだけなのです。

しっかりと噛み合う議論、愛情の感じられる文章。

抽象的かもしれませんが、このことをみなさんに考えていただきたいのです。



ではなぜ議論が噛み合わなくなるのでしょう。



相手の言葉を理解しようとしないことが最大の原因だろうと思います。

理解しようとしないまま、自分の主張を繰り返すことによって不毛の議論となっていくとわたしは思っています。



その主張の中身も、問題です。

憲法の解釈論であったり、世界情勢の裏側であったり、あるいは差別の問題であったり、イジメの問題へと波及させ、拡大させていく。

こうした論法でやりあえば、もともとの議論は何であったのか、さっぱりわからなくなるのは当然です。

そして、第三者の目からみれば、「荒れているな」との印象を強くするのだろうと思います。



その「荒れ」を象徴するのが、攻撃的な質問です。

自分で考えようともせずに「常識とはなんですか?」という類の質問を繰り返すことで相手を困惑させ、追い込もうとする手段です



わたしは、かつて取材記者としていろいろな人から話を聞いていた時期があります。

相手にとって都合の悪いことも聞きださなければなりませんが、そういう相手によく見られたのが「逆質問」でした。



「わたしはこう思うけど、これ、間違ってますか? あんたはどう思う? 政治ってなんだ?」

ということを言いだしたら、この人はたいへん怪しい、と判断すべきだと後になって気がつきました。



わたしが、そうした質問に答えようものなら、そこから議論のための議論が展開し、なにがなんだかわからなくなり、しだいに頭が真っ白になってしまって、すごすごと帰ってくる、という苦い経験を何度かしてきました。

ですから、わたしは、そうした気配を感じた時、この人はなにか都合の悪いことがあるのだな、と判断するようになりました。



残念ながら「攻撃的な質問」が、わたしのブログのコメント欄にも見受けられます。



わたし自身が多重ハンドルネーム問題について「整合性」という言葉を使用して見解を述べましたが、当の多重ハンドルネールを使用している人から、

「整合性とはなんですか?」と質問を受けました。



それから今回は「荒れるとはどういうことを言うのでしょうか?」との質問を受けています。



こうした質問を受け、この人はわたしの言っている言葉の内容について理解しようとしないのだなと、と強く感じました。



今回の件についても、

「ためしに、コメント数が異常に多くなっているところを見直してくれませんか」

と、分析していただくようお願いしました。



しかし、それでも「理解することができない」と、言われます。



わたしはこうした不毛の荒野を行くような議論にエネルギー、時間を費やすのがたまらないのです。



わたしのブログを読んで下さる方は、ありがたいことに大勢いらっしゃいます。

その中には議論したい人もいるでしょう。

しかし、その一方では議論をしたくない人も大勢いるのです。



かつて、わたしのブログにコメントを寄せていただいた人からメールをいただきますが、

「あの人はなんですか?」との問い合わせがあります。



コメントしたいけれど、あの人にからまれるのがイヤですから、という内容です。

このことは、わたしが産廃問題に真正面から取り組んでいる時から起こっていることです。



つまり、コメントを寄せたいけれど、議論に巻き込まれることを恐れている人もいるのです。

そういった人の気持ちを斟酌することもなく、名指しで自分の主張を展開する。

その結果、このブログのコメント欄はますます限られた人だけのものになっていく。

そういう事態が起きているのです。



これが荒れているということなのです。



おそらく、ここまで書いても「理解できません」と言うかもしれません。

もし、そうであれば、議論の場は他にもあるでしょうから、そちらでどうぞ、と言うしかありません。



相手の言葉を理解しようとしない態度や言説。

それを愛情の感じられない文章と、わたしは考えております。



わたしは、人の自由を規制することは本意ではありませんが、書き込み禁止の措置をとらせていただく場合があります。

ご了承下さい。
2008.10.23 / Top↑
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