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映画を観たり、小説を読むと、作品に没入するあまり描かれていることは事実なのだという錯覚に陥ることがある。

作者側からすれば「してやったり」だろう。

そういう作品は、なかなかお目にかかれないけれど…。



ずいぶん以前のことだが、『ミッション・トゥ・マーズ』という映画をDVDで観た。

火星探索を行い、そこで次々に新発見があるが、3人が行方不明になる、という話である。

救助に向かうと、さらに驚くべき発見が…。

という展開で、最後まで面白く観た。



が、終わった後、家人が遠く火星でも見つめているような目をしながら、



「やっぱり、そうだったんだア」と、しきりに感心している。



「なにが?」



「人類ってさ、○○○○○…」



これから観ようとしている人に申し訳ないので伏せておくが、家人は、完璧に作品の中に没入し、あり得ないことを口走ったのだった。



「あのさ、これ、映画だよ。言っていること、わかるよね。フィクションだからね。ウソなんだよ」



そう念押ししなければ気がつかぬほど、家人は映画の中に没していたのだった。



しかし、気持ちはわかる。

フィクションであっても、デキがよければ、作品世界に入り込むのは、当たり前。

近松門左衛門の言うところの「虚実被膜」である。



と家人を弁護するのは、わたしも、そういう気が出てきたからだ。



先日、宮部みゆきの『長い長い殺人』という小説を読んだ。

10人の持つ財布が語り部である。

それぞれが独立した短編になっているが、いわゆる連作という形で一冊にまとめられ、物語が交錯しながらも、ひとつに集約されていく。



財布に語らせるという仕掛けに興味をひかれて読みはじめたのだが、一部、これは財布の語りでありえないな、という箇所もあったけれど、それでもグイグイと引っ張り込む圧倒的な筆力はみごとで、あっという間に読了した。



読み終えて、しばらくしてからである。

『ロス疑惑』の三浦和義が自殺、という報に接した。

これにて真相は薮の中となった。

一美さん、白石千鶴子さんは、いったい、誰の手によって殺されたのだろうか?

ロスでの公判は、そういう意味で期待していたのだが…。



それにしても妙な符合だ。

たまたま手にとった『長い長い殺人』を読み進めていくうちに、これはロス疑惑の一連の事件を下敷きにしているな、と確信していたからだ。



作品では4つの殺人事件が起こる。

容疑者とされる男と女は三浦和義がそうだったようにマスコミの寵児として扱われ、いわゆる舞台型事件として描かれている。



もちろん、小説だから犯人は捕まり、一件落着するのだが、困ったことに読み終えたばかりだったためか、わたしの頭の中には『ロス疑惑』の真相までもわかったような気になってしまっているのだ。



こうなると、家人をバカにして笑ってはいられない。

わたし自身は客観的にものごとを判断できる人間だと思っていたが、だんだん主観的に生き抜いている家人に近づいているような気がする。



それは認めがたい。

そのためには小説のデキを誉める以外にない。



宮部作品には、ハズレがない、と言われているけれど、確かにその通りであった…。




2008.10.16 / Top↑
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