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まさか、こんな日が本当に来るとは思っていなかった。

朱鷺が佐渡の空に戻ってきたのだ。

それが中国の朱鷺であれ、素晴らしいことである。

だいいち人間とは違って鳥には国境などないのだ。



15年前、わたしは佐渡青年会議所の依頼で、ある小冊子の制作にたずさわった。

彼らは、佐渡青年会議所の20周年記念事業として環境問題に取り組みたい、と言うのである。



わたしは、最初、乗り気にはなれなかったので、

「環境問題はカネにならないし、佐渡の活性化にもならないのじゃないか。むしろ活性化のためにはどんどん開発した方がいいのではないか」

などと皮肉を言って、のろりくらりと返答を引き延ばしていた。

パフォーマンスで、そのような仕事に取り組むことを警戒していたのだ。



しかし、彼らは本気だった。

なかでも小冊子制作の実質の担当者だったMさんは、執拗だった。

朱鷺の舞う空を子供たちに見せてやれなかったのは、我々大人の責任である、というようなことを大真面目に言うのである。

朱鷺はしようがないけれど、佐渡には素晴らしい自然があり、それを守っていくことが、我々佐渡に住む大人の役割なんだ、と主張する。

なかなか手ごわい論客である。



酒を飲みながら、何度も語り合った。

「打ち合わせ代だけで、予算が飛んでしまう」

と嘆いていたが、こうした打ち合わせが、しだいにわたしの中にイメージを育むことになった。



「雪割草の盗掘がひどいんだよ」

「山の中は、捨てられたゴミだらけだ」



そんな話を聞けば、外海府の高千まで取材にゆき、雪割草とひな祭りの関係について調べる。

そして、警察署まで行き、沢づたいや海岸にゴミが捨てられているありさまを航空写真で見せられた。

このままでは、佐渡の美しい山野草は盗掘され、そのかわりにゴミが残されていく島になっていくのではないかと、思うほどひどい状況だった。



当時、わたしはまだ佐渡に住んでいるというより、東京と佐渡を行ったり来たりの生活で、佐渡のことについてほとんど無知だったのだ。



そして、朱鷺について調べていくうちに、佐藤春雄さんに出会った。

この方は、終戦直後から朱鷺の舞う空に魅了され、たったひとりで朱鷺の生態を研究をしてこられた日本一の朱鷺博士である。

その頃まで、朱鷺は、朱色と灰色の2種類存在すると思われていたが、佐藤さんの観察によって繁殖期になると羽が灰色に変わることをつきとめられたのある。



その佐藤さんに話を聞く機会があった頃には、わたしは、すでにMさんの掌の中で転がされていた。

「雪割草と朱鷺をテーマに書こう」と決まった。

決まれば早い。

打ち合わせや取材には数ヶ月かかったが、おおよそ一晩で原作を書き上げた。



それが『朱鷺のいた空』である。



朱鷺のいた空



あれから、15年…。

佐渡は『朱鷺のいる空』になったのだ。



皇族、環境大臣、県知事、市長など、偉い方々が居並び、朱鷺の放鳥を行ったが、わたしの脳裏には、Mさんをはじめとした青年会議所の人々の顔がうかんできた。

こうしたおおぜいの影の功労者たちの力によって朱鷺は、佐渡の空によみがえったのだ。
2008.09.25 / Top↑
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