上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
「武士の情け」という言葉がある。

その意味や解釈はよくわからない。

けれども、感覚的には理解できる。

好きな言葉でもある。



「武士(もののふ)」たちの世界でもある大相撲を見ていても、この感覚を身につけている力士とそうでない者がいる。

わかっていないのは、とくに外国人力士に多い。



「礼に始まり、礼に終わる」まではわかっているだろうけれど、「武士の情け」となると…。



勝った者が土俵上でガッツポーズを見せる力士はわかっていない、とわたしは思う。

負けた力士に対しての心配りが欠けているからだ。



土俵上でのガッツポーズが当たり前になると、負けた力士は屈辱的な感情を抱くことになる。

勝った者がガッツポーズなら、負けた者は、悔しがって当たり前という結果を招く。



大麻所持で逮捕された若ノ鵬が、そうだった。

土俵際まで安馬を追い込みなら、絵に描いたようなうっちゃりで大逆転負けを食らった後、支度部屋に戻る途中で壁に当たり散らし、破壊行為にでた。

安馬は、決してガッツポーズなどする力士ではないけれど、そうした八つ当たりも当たり前の状況になりかねない。

これは、醜悪である。



勝利者インタビューにしても同じである。

昔の相撲取りは、一様に「そうっす」「覚えてません」と、答えるだけで、決して取り口を語ろうとしなかった。

言うまでもなく、それは負けた相手へ気づかいである。



ところが、いまはどうだ。

日本人力士でさえ、ニコニコ、ニヤニヤしながら、語る。

言わないでいいことまで、語る。

口が軽く、舌が滑りすぎている。

対戦相手への配慮など、まるで見られないのだ。



ダメ押しも同様で負けた力士に対する配慮がないから、そうした行為が当たり前になる。

やられた側は悪い感情を抱くのは当然で、白鵬が朝青龍に肩から体当たりしたのも、それが要因である。



「武士の情け」という感覚を知らぬ力士が増えることは、そうした見たくもない醜い状況が頻繁に土俵上で起こることになるだろう。



大相撲も地に堕ちかけている、と思う。



柔道などは国際化してから、すっかり地に堕ちきって、どうにもならないところにきている。



今回の北京オリンピックでも、柔道家たちがどのような所作、態度を示すかを注視していた。

ダメである。

金メダリストでも、勝った瞬間に畳の上を駆け回り、ジャンプして勝ちをアピールしていた。



なぜ、指導者は「礼を忘れるな!」と厳しく指導しないのだろう。

これは、勝ち負け以前の躾の問題であり、じつにみっともない。





文章も同じことが言える。

わたしは、すべてを書かない。

書かないことで深みが出る、ということがある。

それが表現の妙であり、面白さでもあり、読む側の楽しみでもあると思っているからだ。



それ以上に大事なことは、赤裸々に書けばいいというものではないという点である。

すべてを書いてしまうと「それでは身も蓋もない」ということになる。

「そこまで言っちゃ、おしまいよ」

という寅さんの名文句があるけれど、おしまいなんである。



その手前で止める。

それが文章における「武士の情け」であり、大きな意味で人間への思いやりだと、わたしは思っているし、自らをそのように戒めている。
2008.09.05 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://noumitaran.blog109.fc2.com/tb.php/202-25a6c7c7

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。