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謝るという行為はなかなか難しい。

「あの時にしっかりと謝っておけば…」

ということをずいぶん経験してきた。

謝らなかったばかりに問題がさらにこじれ、互いの心に悪感情が残り、関係はギクシャクしたまま、疎遠になる。



若い頃は、謝り方を知らなかった。

謝ること自体が腹立たしい行為に思えた。

男の沽券とか、くだらないプライドが邪魔して、どうにも素直になれない。



謝れないのは結局は自分を否定するような恐怖に、おののいていたからだろう。

だから、その怖さを隠すために逆に突っ張ってしまう。

その結果として、大切な人間関係を失う。



そうした経験をしているから、近ごろは自分が悪いなと思ったら、すかさず謝ることにしている。



「悪い、悪い、全部、オレが悪い」

と、家人と対決姿勢が強くなる前に、ペコリと謝ってしまう。



ここが難しいのだけれども、あまり軽い口調で言ってはいけない。

「ぜんぜん謝ってもらっている気がしない。口ばっかりで反省もしていない」

と、逆鱗に触れるからだ。



だから、できるだけ重々しく、

「悪かった、すまん」

と言って、頭を下げることである。



そうすれば大概のことは、水に流れる。



自分が謝るのはどうしても面白くないという場合には、遊び仲間の力を借りることである。



「今回は奇楽庵がすべて悪い、彼がいま謝るから、許してくれ」



始終一緒に遊んでいる人間ならば重たい空気も読めるから、なんのことかさっぱりわからなくても、

「すみません、全部、ぼくが悪いんです。すみません」

と引き受けてくれるのだ。



こうなると家人も黙るしかないようで最悪の事態は避けられる。



要するに、何らかの形で謝罪の気持ちを表せば、人の怒りや憤りはだいたい収まるものなのだ。





こんな話をしたのはフクダくんの辞任会見を聞いていたからだ。

この人も謝り方を知らないのだろうな、と思ったのだ。



「わたしの政治力のなさ、指導力の欠如で、こういう事態になりました。国民の皆さまには、たいへん申し訳ないことでありますが、辞任させていただきます」



これぐらいのことを言っておけば「大変だったろうな、ご苦労さんでした」てなことで、逆に国民の同情を集めることができたのではあるまいか。



ところが、この人は辞任の理由について民主党が話しあいに応じなかったからとか、連立を組んでいる公明党との軋轢をほのめかしたり、就任早々から長年の問題が顕在化してきたとか、誰かのせいにしなければ気が済まないタチのようである。



そもそも衆参のネジレ現象は就任時からわかりきっていたことで民主党が政権取りに動くことは明々白々の話である。

公明党にしたって選挙が近づけば自民党の言いなりになってばかりはいられない。

長年の問題が顕在化ということについても多くは自分の所属する自民党がしっかりしていなかったことのツケである。

それらを処理できなかったのは、自分の政治力がなかった、指導力がなかった、ということに尽きるのだ。



田中角栄は、ある人物の説得に動いたが、なかなかよい返事が得られないという事態になった時、その人物にこう言ったという。



「カネでも動かない。女でも動かない。とすれば、男なのか。じゃ、オレでどうだ?」



ここまでしても目的を達成しようというすごみが昔の政治家にはあったが、アベくん、フクダくんは、淡泊お大尽で、言うことを聞かないほうが悪い、ボクチン、や~めた、となるようだ。



しかし、考えてみれば、こうした「謝れない人たち」が身近にも増えているような気がする。

自分は悪くはない。

悪いのは、社会だ、政治だ、大人だ、という論調で自らを省みることなく攻撃する。

これでは人間関係がうまく運ぶはずもない。



こうした人種の増殖は孤立した人間が増えるということでもある。

そして、孤立している、その点は、決して線としてつながりようのない硬いカプセルの中で棲息するだけだから、しだいに心がむしばまれていく。

秋葉原の通り魔など、さまざまな悲惨な事件は、こうした孤立から起きていくのではないか。



生身の人間社会を大事にするには、とにかく、謝ることを知ることである。

謝り方を覚えることである。



人間は原罪を背負って生きている、というのはキリスト教の考え方ではあるけれど、確かに人類が存在しなければエコなんてのも必要なければ、余計な殺生もなくなり、地球は青く美しい星のままでいられるのだ。



しかし、人間ははびこりすぎた。

だからこそ感謝の気持ちを忘れるな、ということなのだろう。

謝罪の気持ちである。

謝謝である。

そこを忘れなければ人類も救われるのではないか。



フクダくんには、それを率先してやってくれなければならなかった。

そうした生き方を示してくれさえすれば多くの人から支持を得られたに違いないし、日本はもう少しよくなっていたのではあるまいか。
2008.09.03 / Top↑
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