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明日はもう金曜日。

川柳の日である。

この1週間、『少年と海』に圧倒され、前回の川柳について触れるのをうっかり忘れていた。

そこで急ぎアップする。



夏向きの1句である。





 海潜り マナティーみたいと 指摘され (ちょいデブ珍獣)





とりあえず、エンマリさんの“川柳のツボ”にヒットし、発表してくださった。



しかし、この川柳には、ちょいと説明が必要だが、雷小僧が次から次とやってきて、落ち着いてパソコンに向かえる状態ではない。

そこで5年ほど前に書いた雑文を転載することにした。

少々長いけれど、読んで下さればありがたい。

以下、知人が毎月発行している「ばすぬす」という小冊子に『横着する』というタイトルで投稿したものである。









近ごろ、陽が沈む頃になって家の周辺をウロウロしている。

1`時間ほど坂道を上り下りして散歩するのが日課になっているのだが、最後の坂を上りきって家に着くころには呼吸は乱れ、全身汗まみれになっている。

だから散歩とか、まして散策などという優雅なものではなく、私にとって非常にハードな運動になっているようである。



歩いているだけなのにハードとは笑止、と思われるに違いないが、この数年の私の横着な生活はひどいもので、運動といえば家からわずか15メートルほど離れた仕事部屋への往復だけであった。

仕事は胡座をかいたまま書き物をするだけだから、運動不足は甚だしく、気がついたら体力は激しく減退し、足腰が著しく衰弱していたのである。



私だけのことかもしれぬが、人間は一度横着を決め込むと限りなく横着するものである。

反省をこめ、ここにその横着ぶりについて書き留めてみようと思う。



たとえば私は外出する時以外、鏡をあまり見ない。

よほどのことがないかぎり顔も洗わないし、ヒゲもあたらない。

寝グセのついた髪も、そのままである。

鏡を見ることもなくなると、Tシャツを裏返しに着ていてもなかなか気がつかない。

気がつかないのは仕方がないことだが、家族の誰も注意しなくなるのは、まずい。

それはこういうことにも似ているのではないだろうか。



放屁する。

「あ~ッ、もう! やめて!」という誰かのリアクションがあると自分の存在を認められたと実感でき安心もするが、何事もなかったかのように無反応な態度をとられると、たちまちに不安のどん底に落ちる。

やはり「ブーッ!」とやったら、「あら、ま、いやだ」とか「やめろよ、コタツの中で屁をこくな!」との反応があり、「悪い、すまん、すまん」というやり取りがあるから人間関係はスムーズに運ぶのである。

だからTシャツを裏返しに着ていることがわかったのならお互いに注意し合うことが大事なのだが…。

 

ある日、私はよそ様の家を訪問した。

家族に「じゃ、行ってくるよ」と、さっそうと出かけた。

訪ねたお宅で私は調子に乗って人生論やら文学論やらを偉そうに語った。

そして、家に戻って何気なくTシャツの柄を見て、何かがおかしいと思い、脱いで確かめてみたら、後ろ前であることに気がついたのである。

一瞬、「何で出かける前に教えないんだ!」と言おうと思ったが飲み込んだ。

自分が悪いのだから仕方がない。



訪問したお宅の奥さんは辛口の言葉をサラリと言って笑い飛ばせる器量の持ち主だが、その日は、何も言わずに私の話を聞いたり、語ったりしていたのだ。

そして、ずいぶん後になってから、後ろ前に着ていたTシャツの話をすると、

「シャツを後ろ前に着ているな、と気がついていてましたけども、それがオシャレなのかなぁ、こだわりだろうなぁ、と思って黙って見ていました」

と大まじめに言われ、かえって自信も深めることになった、のがいけなかった。

横着も徹底すればライフスタイルになるのだな、と思ったのである。

そうなると少々腹が出てこようと、無精ヒゲと鼻毛の境が不明になろうが、まったく気にもならなくなるから恐ろしい。



その頃から、うたた寝をしていると最初、家人たちは「トドのように寝ていた」と表現していたが、「トドが寝ていた」とストレートな物言いに変化してきた。

人をからかう時に「豚のようだ」というのと「豚ッ!」では、ずいぶん印象が違うが、それすらも気にならなくなる。



「どうだ、男はこれぐらいが恰幅がよくていいだろう?」と、わざと腹を突き出してやると、娘は「はい、はい」と生返事をしてまったく取りあってもくれなくなる。



ここまで横着を決め込むと、後は坂を転げ落ちるように堕落していくのである。

健康に気づかってせっせと運動をしている人たちを遠くから眺めては、

「命根性のいやしい奴らだなぁ。人には定められた寿命というものがあるのだから、ジタバタするんじゃないよ、みっともない」

などと言っては大酒を飲み、タバコをプカリプカリ。

自分を正当化していることに気がついていても、しだいに呵責もなくなるのである。



「健康のために一大決心をしてタバコを止めた男が、禁煙して一週間後に交通事故で死んだりする世の中ですからね」

古今亭志ん生の落語を聞いていたら、枕に、そんな小噺をふっていたのを耳にしたので、

「ヨッ、名人!」などとテレビに向かって声をかけたりして笑っていた。

 



そんな私が、なぜ散歩などを始めたのか、と誰もが思うようである。

「健康のために」とは、いまさら格好悪いことは言いたくない。

「哲学のための散策です」というのもキザというものである。

だから私はこう言うことにしている。

「恋をしたからです」

最高のダイエット法は「恋をすることです」と誰かが書いていたのを読んだが、恋のパワーというヤツは世界を自分の手で動かせるような気になるぐらいの力をもっているから不思議である。

などというロマンチックな話を、ある友人夫妻にしようと思っていたら、奥方が私の姿を見ながら、こう言った。



「あらぁ? 少し引き締まってきたわね。残念だわ。私は能美さんが海に潜っているところを見るのが好きだったのに!」



彼女は真夏の海で浮袋にプカリプカリと浮かんで優雅に水遊びをするのがお好きなようである。

そして、気が向いたら箱メガネで、私が海底遊泳をしている姿を時々ウォッチしていたようなのだ。



「まるでマナティーが泳いでいるみたいだったから、すごく楽しかったのに…」

と、ケラケラと笑った。



マナティーを御存知ない人がいるかもしれない。

正確をきするために辞書を引き、ここに書き留めてみる。



「海牛目マナティー科の哺乳類の総称。ジュゴンに似るが、尾は団扇(うちわ)状で丸い。体長2~3メートル。前足は胸びれ状となり、後ろ足は退化している。水中にすみ、水生植物を食べる。アフリカマナティー・アマゾンマナティー・アメリカマナティーの三種がある。ジュゴンと同じく人魚に擬せられた。」(大辞林 第二版より)



彼女は私を人魚のように思ってくれているのだろうか、それとも絶滅寸前の珍獣の一種と見ているのだろうか。

そう考えながら、呼吸を乱し、汗びっしょりになって日々、犬の散歩という激しい運動に励んでいるのである…。 (了)







 海潜り マナティーみたいと 指摘され (ちょいデブ珍獣)








2008.08.14 / Top↑
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