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「海の日」の前日7月20日、外海府の海を素潜りで探訪しました。

底の方はひやりと冷たかったけれど、その美しさは、やはり変わっていませんでした。



わたしが海の美しさに心ひかれながらシュノーケリングしていましたら、大きな真鯛が2尾、わたしを横目で見ながら悠然と横切りました。

ゴーグル越しに見たので大きめに見えるのですが、体長50センチはあったのではないでしょうか。



「逃した魚は大きい」

という釣り師のホラ話と同じで、多少は差し引いてもらってもいいのですが、とにかく一瞬心臓がドキリとするほどの大きさでした。



こう言ってはなんですが、大魚と出会うと襲われるのではあるまいかと不安になるほど人間は海の中では小さな存在です。

指先にかすり傷を負って血がにじみ出た瞬間にサメが血のにおいをかぎつけてやって来るのではないかと脅え、やたらと背後が気になってしまうほど小さなものです。



わたしは、こう考えています。

下手すると死ぬ、という状況におかれると、人の生命は活性化し、躍動するとかたく信じているのです。

死ぬのではないか、という時、神なのか、それとも本能なのか、わかりませんが、子孫を残すべき指令を出すのではないでしょうか。

だからこそ男は冒険を好むのでしょう。



死を意識して、生を思う。



指先をケガしたぐらいで大げさですけれど、それくらい海の中では孤独ですから、妄想も広がってしまうのです。



それは別としてもわたしは安全を保障された遊び、とくにテーマパークと称するところは好きではないのです。

ディズニーランドのような空間を好む人々の気が知れません。

あらかじめ用意された感動に、わたしは感動することができないのです。



その日、ともに海へ行った親子がおります。

子供は小学5年のくりくり頭の可愛い男の子でした。

彼は大きなうねりの荒波の中、父親と共に海へ入り、大人と変わらぬ潜りをするのです。

これには目を見張りました。

海面に脚をピンと伸ばして、そのまま沈んでゆくのです。

その勇ましい姿を目の当たりにしたとき、佐渡の子は、たくましい、と惚れ惚れし、感動しました。



一歩間違えば、死ぬ。

そういう危険な遊びをしっかりと教え込んでいる父親を、わたしはあらためて素晴らしいと思ったのでした。
2008.07.24 / Top↑
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