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近ごろの大学生は落書きの仕方もわからないらしい。

権力者への不満、抗議の文言を書きつけるのが落書きとされているけれど、そんな意地も骨もない。

自己顕示欲のイタズラ書きである。

憤懣もなければ、ユーモアもないし、ついでにいえば古代人の描いたアルタミラの壁画のような芸術性もない。



しかも、大学側のコメントが、これまたおかしい。

「神聖な聖堂、かつ、世界遺産で落書きをしていたことは誠に遺憾」(京都産大・学長)



これだと神聖な場所や世界遺産だからいけない、と言っているように聞える。

こういう場合には「神聖なるトイレだって落書きしてはいけません」と付け加えてくれるならば納得もしようが、世界遺産だと、ことさらに言ってはならないのではないのか。

だいたい自然遺産ならともかく、人間がこしらえたものは時の権力者がカネにものをいわせたものであって、わたしはそんなに魅力を感じることができない。

だからといって落書きして良いというわけではないが…。



明治維新の頃の落書きに、こんなのがあった。



 上からは明治だなどといふけれど

 下からは治明(おさまるめい)と読む



これくらいのことを書いてあるならば、うむ、その通りだ、なんて感心したくなるけれど、近ごろの若いモンの落書きは目立ちたい気分ばかりで、どうも面白くない。



たとえば、入れ墨である。

昔は堅気の生活を捨て、世間から後ろ指をさされてもいいのだ、という強い覚悟をもって彫らせたものだ。

自分の肉体に墨を入れるのだから生涯消えることがない。

さまざまな動機があったろうけれど、社会に対する反発、阻害感である。

それが2度と世間には戻らないという強い覚悟になったのだろう。



それが近ごろはファッション化している。

みんながやるから、オレも、わたしもやろ、と安易になって、本来の意味すらもわからなくなってしまっていることが、なげかわしい。

覚悟も意地もない。

つまらない落書きと同じである。



社会に対する反発は若い人間ほどあるものだが、反発、反抗の仕方がわかっていないのではないかと思う。

暴走族なんてのは、その典型で、ただただ社会一般に迷惑をかける行為にすぎない。

反発、反抗のエネルギーは強い者、権力を握っている者に向かわなければ、なんの力にもならないのだ。



気のきいた落書き以外は書くな! と言いたい。

ユーモアがあるか。

芸術性はあるか。

権力に向かっているか。

そうしたことをクリアできなければ落書きは絶対にするな!

どうしても書きたいというならば、川柳の1句でもひねってみなさい、と言っておきたい。
2008.06.26 / Top↑
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