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あるとき、ある年配の方が酒を飲んでいる私の目の前に十数冊の本の入ったスーパーのレジ袋を何も語らずに置いた。

家に戻ってみると藤沢周平の小説がほとんどだった。



わたしは、以前、その方に「司馬遼太郎が描いているような英雄の物語や権力の側に立場に立った小説より、山本周五郎のような庶民の目線で描かれた時代小説に興味があります」と言ったことがある。

「では、藤沢周平を読んだか?」と訊かれた。

「文芸雑誌の中の短編をわずかに読んだきりです」と言ったのを記憶されていたのだろう。



本をレジ袋にざっかけに入れてきたのは気軽に読んでみろということだろう。

そのつもりで寝所に入ってから本を開くが、つい引き込まれて次から次とページをめくる。

それでも夜中、ある箇所で立ち止まってしまうこともある。

その一行から、さまざまな想像が広がっていく。

たとえば、こんな箇所。



人は日常の規矩で自分を縛るかわりに、その代償として平穏な暮らしを

保証されている。だが、一度保証された平安を捨てる気になれば己れを

縛っていたものを捨てることに何のためらいも持たないどころか、かな

り徹底した裸になることも厭わないものなのだ。



これは『唆す(そそのかす)』という短編の中の一節だ。



「保証された平安」という言葉がやけに心に残った。

いまの時代に「保証された平安」を維持している人々はいるのだろうか、などと考え、公務員しかいないだろうな、という思いに至る。

そうした人々が裸になれば、世の中はどんな風に変わるだろうかと想像している…。



そして、ずいぶん前、「みんな裸になればいい」と歌った人の顔が浮かんでくる。

わたしは、その人をひそかに「歌う哲学者」と呼んでいるけれど、読書をしていると、いろいろな点と点が結びついて、無限に想像が広がっていくことがある。

そうやって眠られない夜もあるけれど、多くはいつの間にか昏睡している。




2008.06.02 / Top↑
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