上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
最近テレビでニュース報道もどきの番組をみていると凄惨な話題ばかりで重たい気分になる。

それではお笑いはどうかというと、これまたお寒いかぎりだ。

パターン化されたパフォーマンス(芸という言葉を使うこともできない)を繰り返し見せられているようで、どうにも面白くない。

これがテレビの限界である。



一度オンエアされたものは、アッというまに全国津々浦々に浸透、1ヶ月も経てば「飽き」がくる。

それをわかっているからテレビ局の人間は知恵を絞る。

知恵といったってロクなもんじゃない。

1分か3分か、わからないけれど、その短い時間だけ笑わせればよい、という仕掛けをつくる。

そうやって若手を次々に登場させ、その中から光るものを見つけ出せればよい、という程度。

見せられる方はたまったものではない。



漫才のできない漫才コンビ。

ツッコミ側がただただがなり声をあげているだけ。

話を展開させる力がないから並列的なギャグを連発するだけで、しかもナンセンスギャグ・マンガからパクったようなネタばかり。

子供ウケするパフォーマンス付きの笑いだから、まさに子供だまし。

上げていけばキリがない。

見ていると腹が立ってくる。



つまり、短い時間だけで笑わせようとするテレビ局に無理がある。

笑いにとどまらず、あらゆる芸は「間」である。

その「間」をとる間がない。

そういう仕掛けなのである。

つまり、お笑いのレベルを下げている大きな原因と責任は売れなければ食えない芸人のせいというよりはテレビ局のあり方にある。



だから、芸とは言えない芸が面白く見えてくる。

妙な間合いをもっている村上ショージが、その典型。

『徹子の部屋』で黒柳徹子に、

「今日のゲストは、スベリ芸を開拓された村上ショージさんです」

と紹介され、本人も困惑していたという。

スベリというのは客にウケなかったという意味だが、それを芸と勘違いしている黒柳徹子の芸は、これまた別格である。





笑いは種々様々にたくさんある。

ただおかしいだけではない。

悲しい時も笑うしかないこともある。

怒りの頂点を越えて笑いだすこともある。

嘲笑だって、よくあることだ。

爆笑、苦笑、嬌笑、微笑、憫笑、哄笑…。



笑いは文化レベルが濃く影響しているから、外国の笑いのなにが面白いのかわからないということもおこる。

だからこそ難しいのだけれども、いまのお笑いはレベルが下がりすぎているような気がする。



「笑いは健康にも良いというから、たまにはテレビを見てばか笑いしたい」という人があったけれど、お笑い番組を見た後に、

「なにがおかしいのか、さっぱりわからない。腹が立ってきた」というのである。



健康に悪いお笑いが、いま日本に蔓延しているようだ。
2008.05.22 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://noumitaran.blog109.fc2.com/tb.php/240-38964c1f

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。