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先日から、一冊の本を捜している。

いまだに発見できずにいる。

前回ブログ記事で「靴下売りの話」を書きながら、ずいぶん前に読んだ小説が

浮かんできたのだ。

短編小説の名手といわれた阿部昭の『人生の一日』という作品である。

引っ越しを重ねてきたから古本屋に処分してしまったか、それともいまだに段

ボールに入ったままだろうか、などと考える。

おそらくいつものように諦めてしばらく経った頃にひょいと見つかるのだろう。



その『人生の一日』という短編小説は、砂嵐のような強い風の吹いている冬の

ある日、書き手である「私」の家に母と息子の二人が宗教の勧誘にやってくる、

という話だった。

「私」は、子供を巻き込んで宗教の勧誘をしている母親に対して怒りを感じ、

悪し様に叱りつける。

怒りにまかせて叱るという行為は、尾を引くもので、小説家の「私」も、重た

い気持ちになっていく。

自らの人生をふり返り、どうしてもぬぐいされない重たい記憶というものがあ

ると、作者は言う。

それがタイトルの『人生の一日』となるのだが、「私」は、子供の目線を通し

て母親が見ず知らずの男に激しく叱責されている光景について思いを巡らせて

いく。

そして、その子にとって忘れられぬ『人生の一日』になったのではないかと、

子供の目の前で母親を叱りつけたことを悔いる、という展開だったと思う。



曖昧な記憶だから間違っていたら、ごめんなさい、と謝るしかない。

なにしろ20年ほども前に読んだっきりだから、自信もないのだ。

それでもこの作品が記憶に残っているのは、当時、同じ体験をしていながら、

叱るという行為を思いつきもしなかったからである。

冷たくあしらって帰っていただくということを繰り返していたから、なるほど、

叱る、怒るということもあるのか、と関心を持ったことを覚えている。

心に残る一冊である。

なのに、その本がないとは…。

捜し物がヘタクソなのは、本当に困ったことである。



「整理整頓が悪いからだ!」なんてことは、言われなくともわかっている。

読んだ本、途中で投げ出している本、いまだに開いてもいない本、作家別、

ジャンル別、すべて整理しておけばいいのだろう。

が、そんな時間があったら本を読んでいたほうがましである、なんてことを考

えるから、捜索という無駄な時間を浪費することになる。



じつは、今朝から捜しているけれど、これまた発見できずにいるもう一冊があ

るのだ。

スタインベックの短編小説集で、そのなかの『怠惰』という作品を再読してみ

たくなり、捜索活動を開始、すでに3時間も経過している。

これは、まるで自分のことを書かれているようだと、思った記憶があり、この

一冊を心の友にしようと思っていたのに、これまた紛失している。

子供が勝手に持ちだしたのか、それとも「面白いから読んでみなさい」などと、

誰かにあげてしまったのか。

とにかく、捜し物はやっぱり見つからない運命にある。



一昨日、どうしてこうも捜し物がヘタなんだろ? と、たまたまわが家を訪れ

て下さったポッポのパンの亮子さんに話すと、

「思い込みの強さのせいじゃないかしら」

と、すかさず返ってきた。

さすがに返答が速い。

思い込みの強さでは人後に落ちない亮子さんの言葉は、体験の重みがあって、

素直に耳をかたむけることができる。

なるほど、その通りだと思った。



先日も、懐中電灯を捜していた。

闇夜のなかで作業をやろうとしていること自体、間違っていることはわかって

いる。

しかし、その作業はセンサーライトを設置する作業で夜になって気がつくので

ある。

「あ、センサーライトつけなくちゃ」

ライトの必要などない昼間は、すっかり忘れているのだ。



それで夜になってあわてて設置しようと懐中電灯を捜す。

わたしの捜しているイメージは「グレーの懐中電灯」である。

ありそうなところ、以前に使った場所、もしかしてというようなところ、すべ

て捜してみたが見つからない。

イライラして、

「お~い、懐中電灯、どこやった?」と叫ぶ。

すると、あきれたような表情で家人が、

「そこにあるんでしょ」と言う。

それでも、見つけることができない。

「ないぞ!」と、しだいに語気が荒くなる。

「これッ!」と、家人もイライラして指を差す。

あった。目の前にあった。何度も捜している場所にあった。

なぜ?

そこにあるのは、赤い懐中電灯だったからである。

わたしの懐中電灯のイメージは、グレーだった。

その強烈な思い込みによって目の前にある懐中電灯すら見つけることができな

いのだ。

捜し物がヘタクソなのは、整理整頓ができないからではなく、思い込みのせい

だと、思い込みはじめている。



作家の向田邦子が面白いエッセイを書いていた。

夜中、停電になって懐中電灯を捜すという話だった。

やはり、なかなか見つけることができないタイプらしく、その騒動ぶりをおも

しろおかしく書いているが、最後に、こんなオチをつけてくれる。

「懐中電灯を捜すために、もう一本の懐中電灯を机の引き出しに入れておこう」

20年以上も前に読んだエッセイなのに、こういうトンチンカンな話が忘れられ

ないのは、その頃から自分も同系列の人種だなと思ったからだろうか…。
2006.10.26 / Top↑
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