上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
あらさがしが好きな人がいる。

他人の小さな失敗や思い違いによる過失を本人にこっそりと指摘してやるのではなく、無知だ、常識がないなどと大げさに取り上げて世間の目にさらす。



そういう人の特徴として「正義」とか「良識」といった言葉を好む。

もちろん自分に正義があり、良識がそなわっているという過剰な自負もある。

それだけに周囲の人間にとっては、迷惑このうえない存在となる。





その手の滑稽な人物を取り上げた小説がいくつかある。



人間観察において精緻をきわめるチェーホフも、わずか7ページほどの初期短編『下士官プリシべーエフ』で、そうした人間の悲哀をユーモラスに描いている。



主人公のプリシべーエフは、退役軍人で「秩序」こそが健全な社会を作るものだという考え方の持ち主。

だから庶民らが、夜中まで焚き火を囲んで談笑したり、歌をうたって遊んでいるのを見つけると許せない。



「火をたくんじゃない!」



「歌をうたうな!」



女たちがうろうろすると秩序が壊れるからと、まるで舅のように目を光らせ、「解散!」と怒鳴って追い払う。



巡査や村長にもいちいち報告するのだが、彼らはいっこうに動こうとしない。

無秩序状態を招いている巡査や村の役職者たちも彼から見れば怠慢だと、彼は怒って、意識が低い、民度が低いだのとののしって侮辱するのだ。





その結果、彼は、巡査他6名から「侮辱罪」で訴えられ、裁判にかけられる。



小説は、そのシーンから展開するのだ。



村人の証言では、そのプリシべーエフが除隊してからの15年間の村の生活はめちゃくちゃで、村から逃げ出したいというほど、たいへん迷惑をこうむっているのだと明かされる。



しかし、当のプリシべーエフは、なぜ迷惑がられるのか、そこがわからない。

そのわからないところのズレが、なんとも面白く読める。



プリシべーエフは、こう言う。



「わたしは万事秩序を心得ておるのです。ところが、百姓めらは単純な人間で、なにひとつわかりゃせんので、自分の言うことをきかなければならん。そうすることがやつらのためです」



今どきの言葉でいえば、「上から目線」で物事を見て、自分以外はロクなもんじゃないと思っている。

チェーホフは、そうした人間がいつの時代にもいて、それがいかに滑稽なことか。

それを主題に作品を書いたのだろう。





裁判でプリシべーエフは「禁固1ヶ月」を言い渡される。

もちろん、なぜ有罪となったのか、本人は最後までわからない。



チェーホフは、裁判が結審して村人たちが退席していく最後のシーンをユーモラスに、こう書くのだ。





百姓たちが三々五々、なにごとか語りあっているのを目にするやたちまち彼は、自分でもどうしようもない習性から、両手をズボンの縫い目にあてて、しゃがれた怒声をはりあげる。



「人民ども、解散! かたまってはならん! 家へ帰るんだ!」







おそらく井伏鱒二も、この『下士官プリシべーエフ』を下敷きにして作品を書いているのではなかったか。

井伏鱒二の場合には、さらに滑稽の味つけを強くしていた記憶があるが、その肝心の作品名を失念してしまった。





ともあれ、他人のあらさがしをやって自己満足している人へ、秋の夜長、眠りの前のひとときに『下士官プリシべーエフ』をおすすめしたい。
2009.10.22 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://noumitaran.blog109.fc2.com/tb.php/29-89ee1d27

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。