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形容、修飾の多い文章は腐りやすい、と言われている。

腐りやすいという意味は、長持ちせず、飽きられやすい、ということか…。

たしかに繰り返し読むとわかるけれど、形容、修飾の多い文章は脂身の多い食

べ物のように、しだいにもたれてきて、もういらない、ごちそうさん、と投げ

出したくなってくる。

その対極にあるのが、俳句や短歌、詩である。

繰り返し読んでも飽きもこなければもたれもしない。

そんなことをつらつらと考えているのは、簡潔な文章で数多くの作品を残した

作家、吉村昭が亡くなったからだ。



吉村昭の小説を片っ端から読んだ時期がある。

戦記、歴史、動物、漂流、脱獄、医療…、テーマは幅広いけれど、どれをとっ

ても簡潔な文体で物語が紡がれでいく。

その頑固さには、惚れ惚れする。

たとえば、マタギの世界を扱った短編集『羆』では、ヒグマに襲われた人間の

無残な姿が幾度も描かれているが、いずれの作品でも淡々と表現されている。

自分ならもっと大げさに、しかも長々と、おどろおどろしく説明するに違いな

いというシーンでも吉村昭は淡泊すぎやしないかと言いたくなるほどの筆致で

書き進めていくのだ。

それがかえって恐怖をかきたててくるのだから、不思議である。



なぜ、これほどまで簡潔な文章が書けるのだろうか。

おそらく取材と資料収集の力だろうと思われる。

膨大な事実を集めて並べ、取捨選択して積み上げていけば、ことさらに修飾す

ることもなければ、過剰な表現は不要ということになる。

とくに吉村昭の戦記物は事実の積み重ねだから圧倒的な力で迫ってくるし、歴

史人物を扱った作品では司馬遼太郎のようなヒーロー的な描き方はしていない

けれど、人間の真実に肉迫して、文学と呼ぶにふさわしい。



秋の夜長、吉村昭作品をじっくりと再読しながら、追悼す。
2006.09.08 / Top↑
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