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ごく親しい知人がブログを閉じた。

「なんだか囚われているようで、息苦しくなった」

という理由である。

何かを書かなければ、との強迫観念に襲われたらしい。

パソコンに電源を入れ、自分のブログに書き込むだけならいいけれども、他人

のブログを読んだり、ニュースで情報を仕入れたり、ある事件に対して掲示板

に意見を書き込み、その反応をうかがっているうちに時間があっという間に過

ぎていく。

「いったい、オレは何をしているんだ?」

ふと、我にかえった。

そして、いさぎよくブログを閉鎖して、日常の生活を取り戻したというのだ。



「玩物喪志」(がんぶつそうし)という言葉がある。

人を玩(もてあそ)べば徳をうしない、物をもてあそべば志をうしなうという

戒めで、中国人の眼差しの鋭さ、表現力の巧みさを感じさせてくれる言葉であ

る。

日本人が翻訳すると「珍奇な物に心を奪われて大切な志を失うこと」(大辞泉)

となるけれど、「珍奇な物」とはいかにも日本人らしい表現である。

ブログやインターネットが「珍奇な物」であるかどうかは別にして、ブログと

のつきあい方、書き方は、じつにむずかしいと思う。



わたしの場合、アクセス解析というものを設置していない。

ただ訪問者数が知らされるだけで、どなたが訪問され、どなたに読んでいただ

いているのか、さっぱりわからない。

近ごろでは訪問者数も気にしないようにカウンターも見ていない。

書きたくなれば書くというスタイルを徹底したいと思うのは、もてあそぶとい

うよりも、もてあそばれないようにするためだが、それでも1週間も放ってお

くと、そろそろ書かねばならない、と強迫されているような気になってくるか

ら不思議である。



では、何を書くか、と考える。

読んでいただいている人の心がちっとでも動くようなものを書きたい、などと

欲をもつとたちまち書けなくなる。

ブログの文章はじつにむずかしい。

手紙や電子メールならひとりの読み手に向かって書けばよいから、書きたいこ

と、伝えたいことも絞ることができる。

新聞や雑誌の記事はテーマが明確だから、伝えたいこともはっきりしてくる。

それに編集者という眼を通してチェックされているから、文章にはあるていど

の客観性もある。

しかし、ブログは読み手も不明で、テーマも絞られず、客観性もきわめて低い。

主観を中心にした日記風ではあるが、公に読まれることを前提としているので

日記とも言いがたい。

とすると、ブログとは、いったい何だろう。

何のために書くのか?

そんなことを考え始めたら泥沼である。

まさに「玩物喪志」状態におちいる。



そこで、こう考えることにした。

ネット上で知りあった人も含め知人、友人らに近況を知らせるために書く。

オレは生きているぞという便りのつもりで書く。

そうすると気が楽なる。



冒頭の知人のブログは、面白かった。

論理的な文章ではない。

したがって文章の意味を考え始めると、さっぱりわからない。

それでも、面白いのである。

ヒリヒリするようなむき出しの感覚的な言葉であふれていた。

頭に浮かんでくる言葉、心に沈殿している言葉がストレートに提出されていた。

怒りもあったし、泣きもあった。

本人はそんな気はないと確信できるけれども、笑いもあった。

そのブログが閉じられてしまったから、わたしは彼の近況を知る大きな手がか

りを失ったようで、秋の気配とともに寂しさがジワリと迫ってきた。
2006.09.05 / Top↑
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