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コーヒーが好きだ。

多いときでは日に10杯以上を胃袋に流し込んでいる。

なんであれ過ぎたることはよろしくないとは知っているけれど、酒や煙草も同

じで自ら制限することもせず、飲みたくなったら飲む。

だからといって「違いのわかる男」かといえば、決してそうではない。

そこらのスーパーで売っているコーヒーを、

「これがブルーマウンテンですよ」とすすめられたら、

「なるほど、さすがにブルーマウンテンはひと味違いますね」

うなづきながら飲んでしまう自分を恐れている。

そのていどである。



ただ好みというものがあって苦味のあるコーヒーがうまいと頑なに信じている。

ていねいに焼かれ、黒々と光っている深煎りのコーヒー豆を見ると、それだけ

で嬉しくなってくるのだ。

ただし気をつけなければならないのは、焦げた豆は似て非なるもので、どうに

もならない。

火力が強すぎたのだろうと思われるが、昔、次々に出てきた炭火焼きというコ

ーヒーに、この手の豆が多かったのではないか。

近ごろは、そんなことはないだろうと思うけれど、炭火焼きコーヒーと惹句の

ついたコーヒーでうまいと思ったことがなかった。



網走には素晴らしい喫茶店がある。

デリカップという小さな店だけれども、日本一のコーヒー店ではあるまいかと

ひそかに思っている。

冬の寒いときでも、真夏の暑いときでも、店主は生豆をわざわざ店の外で焙煎

する。

あたり一帯がコーヒーの香りに包まれ、フラフラと誘い込まれる仕掛けである。

網走滞在中は毎日のように、ここでコーヒーを飲んだ。

夕刻、家を出て、10分ほど歩いて店に着き、カウンター席に座る。

まずはブレンドコーヒーを淹れてもらい、時間があるときには次に焼きたての

ストレートコーヒーを注文する。

いずれもしっかりとした苦味がきいていて、甘みも感じられる。

「コーヒーは、ワインより難しい」

とは、店主の言である。

同種でも産地が違えば味が違うのは当然であるし、同じ種類、同じ産地でも、

畑の立地が違えば味も異なるというのもワインと同じである。

むろん、栽培された年度、その天候によってもデキが異なるのもワインと同じ

である。

ところが、「コーヒー豆の種は複雑でワインにおける葡萄の比ではない」とい

うのだ。

それらを見きわめた上で焙煎しなくてはならないというから気の遠くなるよう

な話である。

店主は、ときにはコーヒー豆を勉強するために産地まで飛ぶ、という。

ここの豆を購入して佐渡まで持ち帰ったことがあるが、驚いたことに飛行機の

中、船の中、そして、到着した家の中、バッグを開けるたびにコーヒーの香り

で充満した。

恐るべき焙煎技術である。

その店主が、こういうのだった。

「コーヒーは苦味だよ。これに尽きる。酸味を好むのは世界では日本だけだ。

これは日本のコーヒー業界が仕組んだもんだろうね。酸化したコーヒーを売り

続けるための方便だ」



人生には知らない方が幸せだということがある。

佐渡の米のうまさ、とくに知人が大佐渡連山の懐にある山の田で作る米のうま

さを知って、他の米ではなかなか満足できない。

それと同じようにデリカップのコーヒーが基準になってからは「うまい」と心

の底から思えるコーヒータイムがなくなってしまったような気がする。

札幌のある腕の立つ寿司職人は、他の寿司屋へ行くことはないと断言した。

寿司を食べたくなったら回転寿司へ行くというのだ。

なぜか。

他の寿司屋だと中途半端な仕事ぶりが気になって食った気になれないから、最

初から仕事ぶりを気にせずにいられる回転寿司へ行くというのだ。

これもまた寿司の技術、寿司のうまさを知ってしまった不幸である。

と、前置きして白状するけれど、ふだんわたしが飲んでいるコーヒーはスーパ

ーマーケットなどで1グラム1円見当で売られている深煎りタイプのコーヒー

である。

これだとガブガブガブガブ飲めてしまう。

大きめのマグカップでガブガブ飲みながら、こう考えている。

「ああ、苦み走ったうまいコーヒーが飲みたいなぁ」



マグカップとポット

2006.06.01 / Top↑
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