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山人さんというネームの方から、以下のような意見をちょうだいしました。



本来、不必要になった物質は、狭い陸地の自浄能力に頼るべきではないと思い

ませんか?

すぐさま海に流れ込み、その膨大な海水によって薄められる方が、危険は少な

いはず。

大地の浄化は河川によって、海に還される水のごとき、それを山の中に密かに

埋めて、知らず知らず飲料水として飲まされる人間。

ただの生物として、全滅を回避する摂理のような感覚からしても、都会や河口

に危険なものを置く方が、理にかなっています。

逃げ場所がなくては、いけません。

土建屋がどれだけ山に埋めていることか・・・

将来に渡って、海よりも狭くて小さな大陸の汚染濃度は高まっていくのです。

山に住む者としては、今回の件、多数住民の住む地域所業に腹の虫が納まりま

せん。





山人さんへ

越前工務店の社長が、4月10日、西二宮集落センターで行われた説明会で、こ

んなことを言ってました。

「南部の山はゴミだらけだ。平らになっているところには全部ゴミが埋まって

いる」

県環境センター、佐渡市のお役人10名がいる前での演説です。

「(越前工務店の中間処理)施設が潰れたら、この山もゴミだらけになる」

と、予測までしてくれました。

蛇の道は蛇といいますが、越前工務店の社長の発言だけに、かなり現実味があ

り、山人さんの「土建屋がどれだけ山に埋めていることか…」という悲しいつ

ぶやきを裏づけるような話でした。



山人さんの意見に、わたしも賛同します。

行政や業者が言うように安全なものならばゴミを大量に排出している都会に施

設を造ったほうがより効率的ですし、監視体制も整うはずです。

それなのに、なぜ、水源になっている山間地や監視できない僻地にゴミ処理、

処分場を造るのか…。

甚だしい矛盾です。

すべての命を育んでいる山の水の汚染はすべての生命の危機ととらえるならば、

山人さんのおっしゃるようにできるだけ下流に施設を建設すべきなのです。

ところが、ややっこしいのは多数決が基盤になっている民主主義というやっか

いなルールです。

多数が反対すれば、その論が通るのですから迷惑なる施設はどんどん少数の過

疎地へと向かう。

そこに「活性化」などという誰が儲けるのか、わかりきっているような甘言を

弄しながら、過疎地を標的にしてくる。

山を守っているという自負もすでに失われている無知なる民は「活性化のため」

との大義に騙されて山を売り払ってしまう構図です。



わたしは決して原理主義者ではありませんが、「江戸時代、ゴミというものは

一切なかった」という言葉に心が動きます。

「江戸時代の日本の都市は世界でもっとも美しかった」

などという言葉に出会うと、誇らしい気持ちにもなります。

といって、現代文明を否定してしまうこともできません。

ただし現代の技術をもってすれば、ゴミにならない素材で製品を作ることも可

能なはずなのです。

現代でもゴミのない社会を築くことは不可能ではないと、夢見ております。

そのためには国家の政策がゴミ政策の三流と言われる「リサイクル」を中心に

していることがネックになっているのですから、ここをたださなければならな

いのですが…。

この国民は山野を荒らして、平然としている自民党をいつまで支えるのでしょ

うか。
2006.04.21 / Top↑
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