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 温泉には五つの湯船とサウナを備えていた。最初につかった「火口原」と称する湯船が

もっとも広く、入った瞬間に熱いと思ったが、しだいにぬるく感じ始めた。体の芯まで冷

えきっていたようである。

「熱いのはあちらですから」と、すぐそばにいるAさんは教えてくれた。

 Yさんは無言で立ち上がり、熱めの湯につかったので私も移動して身体を温めていたら、

すぐに双子の子供たちもやってきた。

「露天風呂があるよ」と、しきりにすすめる。子供特有の無邪気で粘り強い親切を無視す

るわけにもいかず、スッポンポンのまま外へ出た。

 あたりはすでに闇につつまれていた。外気に触れると温もっていた身体から一瞬にして

体温が奪われていくようだった。男にはありがたいことに天然の寒暖計というようなもの

がついていて、アッという間にしぼんでいく。これは零下二十度ぐらいか、ガンバレと声

をかけながら大きな岩であしらった湯船にそろりとつかってみた。

 徹底的な頭寒足熱である。そして、真っ白い雪がライトに映え、なかなかの風情で、鼻

歌でも出そうなほど気持ちがよくなってきた。ワカサギのエサがウジ虫であろうと、そん

な小さなことにこだわっているのがバカバカしくなってくる。だいいち昔から人類はそう

やってワカサギを釣り上げて食してきたのである。もしかすると油で揚げると香ばしさが

増すのではないかとさえ思い始めてきた。湯の気持ちの良さと「ワカサギのテンプラを肴

に一杯」という心地よい響きが大らかにさせたのかもしれない。



 Aさんの自宅はホテルから歩いても三分ほどの距離にある。自宅前には試作中の風力発

電用の風車が据えられていた。

「先日の吹雪の突風で壊れました」と説明され、これが完成すれば原発のない暮らしが成

り立つのではないかと素人の私は夢想する。その夢に向かって独りコツコツと試作を重ね

るAさんがワカサギ釣りの時とはうって変わって頼もしく見えてきた。

 反石油文明を標榜するAさんは薪ストーブ派で、外国製の分厚い鋳物のストーブに火を

入れると三十畳ほどのリビングとダイニング全体が薪の焼ける香りとともに暖かくなって

きた。戸外にも大型ストーブがあるらしく、そこで薪を焚き、煙を床下に通す仕組みにも

なっているという。いわば韓国式のオンドルに似た構造だというが、「薪づくりが大変」

というほどの量を秋にはすっかり用意しておかなければ、この生活は成り立たないとも言

うのである。

 宴会の支度が始まった。Aさんの奥さんは二百五十室ほどもある大きな温泉旅館の若女

将として大忙しの身だから、平日の昼間からワカサギ釣りに興じるような風来坊たちに構

ってはいられないはずだが、すでに料理を数種類用意してくれていたようである。夫人は

韓国出身で大皿に盛られた韓国の家庭料理がテーブルに並べられた。

 続いてテンプラの用意である。Aさんが台所の片隅に立ってテンプラ粉の入った袋を手

にして説明書きを大きな声で一語一語確かめるようにゆっくりと朗読しはじめた。頭の中

で段取りをイメージし、整理しているのだろう。学究の徒は、そうやって頭に知識をため

込んでいくのだろうかと思ったが、その姿をながめながら不安がまた立ちあがってきた。

「この人はテンプラなんか揚げたことはないのだろうな」という思いにとらわれ、指先が

しびれるほど凍てつく寒さの中で釣ったワカサギの行く末を案じた。

 しかし、マニュアル通りにテンプラ粉をとき、そこにワカサギをサッとくぐらせ、油の

入った卓上用の鍋にワカサギを投入すると油が泡立った。続けて数匹を投入してしばらく

すると、水泡の勢いがおさまってきた。

「そろそろいいんでないか」

 と、Yさんが言って引きあげ、油を切るまもなく、全員の口にワカサギが入った。天つ

ゆもつけずにハフハフといいながら熱々を頭から丸ごとかぶりついた。じつに美味である。

次に塩をふってみる。さらにうま味が出てきた。臭みもなく、やわらかな白身の肉が口の

中でとけるようだった。

「うまい」

 芋焼酎をグイとあおりながら大人たちはうなずき、子供たちも「今日はパーティ?」と

嬉しそうに何度も尋ねた。

 Yさんが揚げ係を積極的に引き受けてくれた。電気設備会社を営む彼は、こういうこと

が好きなようである。Yさんは、せっせとワカサギを揚げ、揚げる片っ端から二人の子供

も含め全員が勢いで食べていたから、私はここでもウジ虫のことについては触れずにいた。

 夫人が仕事を終えて帰ってきたのは午後七時半を過ぎた頃だったろうか…、すでに記憶

があいまいになっているのは調子に乗って焼酎を飲んでいたからだが、その後、日本酒を

やり、シャンペンのようなモノをやり、北海道産の甘口のワイン、シングルモルトのウイ

スキーにも手を出したことまでは記憶しているが、その順番を考えるとたちまち深い闇に

立ち入ってしまう。

 洋服に着替えていたが、和服のよく似合う夫人は日本語がじつに達者である。筑波大学

の留学生として来日し、そこでAさんと出会い、国際結婚。大学では日本文学を専攻、卒

業論文には主に戦前に活躍した小説家、堀辰雄の代表作『菜穂子』を研究したと聞かされ、

読んだ気になっているだけの私はたちまち小さくなってしまった。彼女が日本文学や日本

の文化に精通しているようなので、その分野への深入りをあえて避けたわけではないが、

「本当に美味しい料理ですね」「どうしてこんな変な人と結婚したのですか? 何もこん

な日本人と…」と、質問が下世話な方向へごく自然に流れていった。

 気さくな夫人だからか、軽口が出はじめ、酒宴が盛り上がってきた。私はワカサギが全

員の胃袋におさまったのを見計らい、念頭から離れずにいた事柄について聞いてみた。

「エサに使っていたサシってのは、何?」

 と、私はAさんとYさんに向って尋ねた。

「…」

「どうみてもウジ虫だよな」

 と私が言った瞬間から酒宴の空気が変わった。

「やめれや、今ごろ言うな! だいぶ食っちまったべや」

 Yさんは顔面をゆがめて言った。彼は食物の連鎖について、あまり深く考えていなかっ

たようである。

 ついでだから私は畳みかけた。

「野暮を承知で言うけど、これ、四千八百円分だよな。一匹なんぼになる?」

「…」

 今度はAさんが反応した。

「もしかしたら鯛より高級な魚を食べてるの?」

 彼は目をパチクリさせながら言った。

 遊びや酒に興じている時は童心に返っていた中年たちも経済観念を取り戻した瞬間から

不幸のドン底へ叩き落とされたような表情に変わった。しかし、そこは大人である。

「最高級のワカサギをいただいたということで、乾杯!」と、何とか気持ちをおさめたの

である。

 ちなみに私は、その後、市内のスーパーへ買い物に行った際、何気なく魚売り場をのぞ

いたらワカサギが三十匹から四十匹ほど盛られて売っていた。値段を見て、茫然自失。二

百八十円なのである。ケタ違いとは、まさにこのことであった。

 さらに後日、Yさんはワカサギの食べ方について、あちこちで情報を収集したらしい。

それによるとワカサギは爪楊枝で内臓をピッと取りだしてからテンプラに揚げるのがふつ

うなのだそうだ。やはりウジ虫対策を講じていたのである。

「だってそのままテンプラにしてるべや、みんな、そうやって食ってるっしょ」

 諦めきれないYさんは、すがるように反論を試みたらしいが、

「それは網でとっているやつだわ」

 と、あっさりかわされてしまったという。



 夫人は「うまいッ」と叫びたくなる料理を次から次と出してくれた。そして、私はある

ことを思いだしたのである。韓国では客が食べ残すほど料理を出すのが、もてなしの基本

である、という話を私は現地で聞いたことがあるのだ。満腹状態になっている私は鍋料理

を用意している夫人に、そのことについて尋ねてみたら、

「その通りです。おばあさんがそう教えてくれました」

 と、答えたから、大変である。

 日本人は、食べ残すのは行儀が悪いと躾けられてきたから、食べ残すわけにはいかない

という意識が強く働く。まして初めて訪問するお宅であり、なおかつ忙しい身でありなが

ら不機嫌な顔をひとつ見せずに料理を出してくれる夫人のために、Yさんと私は、食べ残

すのは気が引けたのである。食べ残すほどの料理を出すことがもてなしと思っている夫人、

食べ残すのは不作法であると躾けられた日本人、これは壮絶な戦いになる、と思った。

 けれども、私たちはそこに気がついて早々に観念した。

「奥さん、ここは日本ですけど、韓国流にしましょう。もう食えんわ」

 と、白旗を掲げ、最後の海鮮チゲを残してしまった。惨敗であるが、夫人は大層嬉しそ

うな顔をしてくれた。

 その日、酒宴は十二時頃でお開きになり、Yさんと私はAさん宅をおいとました。その

後、Yさんと二人で反省会を開くことで意見が一致、知人の経営する本格バーへ向った。

反省会は午前四時過ぎまで行われた。そこでもボトルを一本は倒したようである。

 翌日、仕事に出ていたYさんはひどい二日酔いに苦しんだという。しかし、午後になっ

ても症状が好転しないので、こんな二日酔いは初めてのことだと思い、ためしに体温計を

取りだして計ったら三十九度を超えていたという。Yさんはたちまち病人になってしまい

病床に伏してしまった。もし体温計がなかったら、彼は「ひどい二日酔いだ」と思いなが

ら、ずっと仕事を続けていたのだろうか。

 そう思わせるほど彼は酒豪なのである。

 高校三年の大晦日、私は友人Sさんを連れ立ってYさんを誘い、初詣に行く予定だった。

ところが途中立ち寄ったSさん宅では年末恒例の家庭麻雀大会が開催されていて、これが

なかなか終わらず、Yさんの家にたどり着いた時は、Yさんはすでに深い眠りについてい

たのだった。母親に起こしてもらってもウンともスンとも言わない。

「さっきまでウイスキーを飲みながら、遅いなぁ、とぶつぶつ言いながら待ってたんだけ

どね」

 と、申し訳なさそうに母親が言う。

「どのくらい飲んだの?」

「二本ぐらい飲んだんでないべか」

「…」

 というほどの酒豪であるから、彼がタチの悪いインフルエンザを、ひどい二日酔いだと

思い込んでいたのもうなずけた。

 私の方は、本物の二日酔いに苦しんだ。締め切りに追われている真っ最中の釣り会&飲

み会だったので風邪を引いている場合ではなかったが、締め切りを終わって気が抜けた直

後に風邪にやられ、ダウン。

 という話を後にAさんに話すと、

「すごいですね、お二人とも」

 酒の強さに驚いているのか、それともおバカな人たちだと思ったのか、妙に感心してい

るから、

「Aさんは、その後、どうでした?」

 と尋ねると、彼はすぐにこう答えてくれた。

「あれから三日間ほど寝込んでいました」

 厳寒のオホーツクに生まれ育った男たちだったが、氷上のワカサギ釣りをなめてかかっ

ていたことを素直に反省しなければならない。

 それにしてもあのワカサギのテンプラは美味であった。金にはかえられない、という言

い方があるが、あのワカサギはまさにそんな味だった。



                                      [了]



 (※ この『高級魚を釣る』は、佐渡限定で毎月発行されている『ばすぬす』に発表し

    たものに加筆訂正をおこなったものです。これをYさんとAさんに捧げます)
2005.10.20 / Top↑
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