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使いたくない言葉というものがある。



ひとつには、差別的な表現にかかわる言葉。



脈絡の中で、どうしてもその言葉を使わねばならないという状況でないかぎり表現を変える。

言葉をつむぐという作業には、そうした努力が必要だと考えている。



たとえば、「お里が知れる」という言い方がある。

わざわざ使用する必然性があるのかどうか、立ち止まって考えなければならない言葉だと思う。



本人の努力では変えようのない事柄というのがある。

たとえば、親を選ぶことはできないし、生まれ育った土地、その環境にしたって本人の意思では変えようがない。



したがって、それをわざわざあげつらって書いている文章にあたると、たいへん不愉快な気持ちになる。



「お里が知れる」という言葉には、そうした意味合いが含まれていることを知っておかなければならない。





同じように「河原乞食」という言葉も、わたしは必然性を感じなければ使わない。

この言葉には何より人を蔑むような意味合いがこめられているからだ。



もちろん、芸人や役者の中に自らを戒めるために「河原乞食」と称する者を時々見かけるけれど、こちらは、逆に芸人としての心意気を感じる。



しかし、芸人でもない人間が誰かをさして、あるいは一般論としても「河原乞食」という場合は、無意識だからこその根の深い差別の意識がひそんでいるように思える。



したがって、わざわざこの言葉を使用する人間に品性の下劣さ以外の印象をもつことはできない。





じつは、こうした人を見下すような言葉を使って佐渡の人々のブログを批評、あるいは、社会時評を書いている者がいる。

批評に堪えるだけの表現力を持たないのに評論という難しいことやっておられるようで、どうにも危なっかしい。



やっかいなのは、本人は自身の文章にたいへん自信をもっておられる様子であること。





「文章を読めば、どのレベルまでの国語教育を受けたかがすぐにわかる」



「大卒と中卒とでは、決して学歴で差別するわけでは無いけれども、きちんとした論文を書く訓練を受けた人と独学とではその差は歴然!」



などと言いきり、本人は最高学府での国語教育をお受けになった、とは書いていないけれど、言外に、それをほのめかしている。

つまり、高い教養を身につけておられるようなのだが、その一方で、表現が、時々、乱れる。



『ブロガーの心構え』と題する一文の中に、こんなくだりがある。





「島内ブログには、ちゃらちゃらとした、まるで中身のない高校生が書くような携帯絵文字を多様(ママ)した幼稚な内容の記事をアップしているしょんべん臭い小娘ブログのようなものがある。れっきとした主婦が書いているようなのだが、よくもまああのような記事をネット上に晒し続けられるものだと思って逆に感心しています。」





これだけを読むと、書き手が高い教養を身につけた女性であるとは思えない。



そして、その一文は、こう締めくくられているのだ。





「このブログの書き手の教育レベルなどは推して知るべしだが、お里はとうの昔に知れています。毎日熱心に更新する姿には敬意を表したいけど、現代国語の勉強を一からやり直した方がいいかもね。」





ここで「お里が知れる」と使う必然性はあるのだろうか?

わたしは、それだけでこの書き手のセンスを疑う。

もっと違う表現がたくさんあるはずなのに、わざわざ反発を買いかねない言葉を使用しているのだ。



もしかしたら「お里が知れる」という言葉の意味について無知なのか、それとも語彙が不足しているのか、と想像するが、本人は自分のことは棚に上げて、佐渡のある人物の運営するブログについて、こんな批評を行っているのだ。





「このブログは、典型的なおやじブログ。人物を観察してもボキャ貧なので大向こうをうならせるような描写ができない。」

とバッサリと切る。



といっても、他人のブログを批評する者が堂々と「典型的なおやじブログ」と、ひどく陳腐で、カテゴリカルな言葉をおざなりに使っている。



わたしから見れば、こういう表現こそ“ボキャ貧”だと断じたい。





この「典型的なおやじブログ」と評されたブログは、写真を中心に、キャプション程度の短い文章が添えられているという構成。



つまり、写真から伝わってくるものこそが、このブログの本質であり、人と人とのつながりや、日々の暮らしぶりなどが、淡々と、素朴な短いセンテンスで表現されている。



そして、時々、唐突な駄洒落があって、これが読み手に安心感を与える効果を持ち、そのブログで紹介されている地を警戒心なしに訪ねることができるのではないかと思う。





そういうブログなのだから評者が言うような「大向こうをうならせるような」表現など必要ともしていないし、本人も求めていないのではなかろうか。







いったい、この評者は、なにを目的にして他人のブログを取り上げて、わざわざおとしめるようなことを書き散らしているのだろうか。



アクセス数やランキングについてのこだわりが強いようだから、もしかすると他人のブログに対して“辛口評論”を行うことによって、自らのブログに注目を集めたいとの狙いだろうか。



それはそれで構わないけれど、人の営みに対する優しい眼差し、深い洞察力を養う必要がある。

そうすれば人をおとしめるような言葉遣いなどせずに済むし、ブログ評論として期待される存在になるのではないだろうか。


2009.09.17 / Top↑
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