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ずいぶん以前に読んだ一文が、時折、思い出されることがある。



詳しく知りたいと思い、調べてみようと思い立つのだけれど、それがどの本に書かれたものだったか、判然としないことが多い。



しっかりとメモをとっていればいいのだけれど、本を読む勢いが勝ってしまい、その結果として大ざっぱな記憶しか残らない。

文章の輪郭はわかるのに細部、核心がつかめないで、歯がゆい思いをする。





その一文は、昨年亡くなられた加藤周一さんの著作であることはわかっていた。



そこでインターネットで佐渡の図書館のサイトに入り、検索してみる。

51件もヒットしたが、すぐに、そのタイトルを思い出した。





昭和46年に新装版として出版された『文学とは何か』だった。



図書館に行き、目当ての一文に再会、思わず、これだ、これだ、と叫びたくなる。





さて、その一文、なぜ思い出したのか。

インターネットに氾濫する文章、とくに匿名で運営されているブログの中に人を蔑むような文章表現が目についたからだった。



もちろん、自分もブログを運営している身としては、こうしたことは決して他人事ではない。

無意識のうちに他人を傷つけていることも十分考えられるので自戒の意味をこめて、その一文を引用する。



以下、加藤周一著『文学とは何か』から引用。





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フランスの小説家ジョルジュ・デュアメルには、第一次世界戦争の挿話をあつめた『文明』という本がありますが、彼は、その本のなかで、文明とは、汝の隣人を愛せよという言葉を理解し、実行すること以外のなにものでもないといいました。これは文明という言葉のもっとも深い、またもっとも美しい解釈だろうと思います。



文化は個人の、文明は社会の問題ですが、いずれにしてもその根底は何が人間的であるかということにかかり、人間の問題でない文化や文明はあるはずがありません。ありそうにみえるのは、みせかけだけで、化けの皮はさまざまの機会にはげるものです。



現にわたくしは、そういう人物に会ったことがあります。そういう人物の多くは、金をもっていて、金のために、豊かな趣味を育て、高い教養をつむことのできた人たちです。衣服の趣味もよいし、言葉づかいもものやわらかです。外国の芸術について巧みに語ることのできる人であるし、日本の舞いに長じ、日本の舞台芸術の微妙なアジをこまかく味わうことのできる人もあります。



しかし、彼らが成り上がりであれば、とりひきでないつきあいにも金の話をもちだすでしょう。成り上がりでなければ、金をもたない人間を決して対等の人間として扱わないでしょう。わたくしはそういう人物と相対しながら、趣味の洗練や芸術的教養の豊かさだけが、文化や文明ではなかろうということを何度も感じました。



身についた芸も、美しい趣味生活も、多くの知識や気のきいた精神と同じように、それが芸術に対する人間的な評価を育てないかぎり、またそれがその人の品性を下劣さから救い人間的にたかめないかぎり、文化でもなければ、文明でもない。ほろびてもさしつかえないものです、金もちとともに文化がほろびるだろうという文化主義者の心配は、どうも余計な心配のように思われます。





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解説するまでもなく、たいへんわかりやすく書かれている。

これが旧版として1950年に出版された著作の中の文章なのだろうかと考えさせられるほどの明晰さで、インターネット社会に生きる小金をもった現代人に痛烈に語りかけてくるようだ。
2009.09.14 / Top↑
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